「茶碗の中の指輪(3)」(2024年07月24日)

ある著名なジャワ人女権活動家がスンダ地方を訪れて女性たちを啓蒙するための講演を行
った。女性に対する公的教育がまだまだ遅れている時代だった。女性たちは迷信を信じ、
目に見えない者たちの力が自分たちの運命を決めているという諦念の中で日々暮らしてい
た。霊的存在がもたらす祟りを恐れて、合理性に満ちた生活改善を行なう勇気をほとんど
の女性が持っていなかった。

講演者は聴衆に向かって、霊的存在を怖がっていてはいけない、と檄を飛ばした。そのと
きにかの女は霊的存在を意図してmomokというジャワ語単語を使ったのだ。モモッはもち
ろんインドネシア語に摂りこまれて、ジャワ語と同じ意味で使われている。

話しが進むにつれて、聴衆席では微笑みからざわめきが生まれ、クスクス笑いが起こり、
ひそひそと囁きかわす声がそこに混じった。「モモッを怖がってはいけない、そんな気持
ちは捨て去ってしまわなければ・・・」

「そりゃ無理だわ。モモッを怖いなんて思っていないもの。捨て去るなんて不可能よ。わ
たしたちの身体から片時も離すことなんてできゃしませんから。」
なんと、スンダ語のmomokは女性器を意味する言葉だった。


インドネシア大学の教授会で意見表明の基本ルールを決める会議が開かれたとき、その条
文にbutuhあるいはその接辞形であるkebutuhanとかmembutuhkan, dibutuhkanなどの語が
使われたさい、一部の教授たちが不賛成を表明した。結局butuhを使わないでアラブ語源
のperluを使うことで満場一致になったわけだが、反対を唱えた教授たちは全員がムラユ
文化で育ったひとたちだったのである。かれらが反対を唱えたのは、butuhがムラユ語で
男性器を意味していたからだ。

ジャワ語のbutuhは、古ジャワ語で窮乏・困難・戸惑いなどを意味しており、現代ジャワ
語の中で「必要とする」いう動詞に変化した。だからジャワにはButuhという名の郡があ
る。もしもそこにムラユ人が住んだら、自分の住所を言うときにくすぐったくてたまらな
いことになったかもしれない。

だから異言語を使うときには、自分の母語の中にあるその同音単語の意味を忘れることが
肝要なのだ。もしもマレーシアへ行ったら、いくらあなたがインドネシア語ペラペラであ
っても、butuhという単語を使わないに越したことはない。マレーシア語とインドネシア
語が同じだと思ってはいけないのだ。

男だけでは片手落ちだろうから、女性器がfarajであることもお知らせしておこう。この
言葉はアラブ語そのままだ。マレーシア語のfarajはインドネシア語にもなっているが、
インドネシア語では常用語が変化形のfarjiであり、farajはアラブ語もしくはマレーシア
語の外来語という感覚が強い。

アラブ語を摂りこむ前はもうひとつ別の単語pukiが使われていたのかもしれない。この単
語もマレーシア語に入っており、インドネシア語にもある。ウィクショナリーによれば、
この単語はバンジャル語が語源だそうだ。[ 続く ]