「印尼華人の実像(8)」(2024年07月26日)

それらの東インド住民に対する公教育が開始される前、存在していたのはヨーロッパ人子
弟に対して開かれていたEuropees Lagere Schoolという学校制度だけだった。しかしオラ
ンダ人高官と公私の両面で近い関係にあるプリブミ上流家庭の子供がELSに受け入れて
もらうことは起こっていた。華人上流層の中に、それに倣おうとする者が出るのも自然の
成り行きだ。

だが華人上流層とプリブミ上流層では立場がまったく違っているのだ。プリブミ上流層は
オランダ東インド行政統治構造の中に組み込まれており、東インド統治機構上層部にとっ
て将来プリブミ貴族の父親を後継する息子にヨーロッパ式教育を与える意味は軽視できな
いものだった。しかし華人の中にそんなポジションを与えられた者はいない。せいぜいが
華人オフィサーの息子くらいだし、華人オフィサーは世襲制でないのだから華人子弟にそ
んなことをしても東インド行政機構には何のメリットもない。そして何が起こったかと言
うと、「金の力」だった。

ELSの学校運営委員会で委員長になるのはたいていがレシデンあるいはアシスタントレ
シデンだった。普段からかれらと親しく交際できていれば口添えを得ることができたもの
の、それでも学校長が華人子弟の受け入れを拒否することも起こり、あるいは15フロー
リンという高額の月謝を義務付けられたりした。受け入れ可否の理由としてオランダ語が
理解できるかどうか、あるいは西洋式マナーが身に着いているかどうかといった条件が付
けられたケースでは、親は仕方なく子供をオランダ人教師の家に下宿させて80〜100
フローリンという信じられないような高額の月謝を払わせられた。

中華会館が開いた学校では漢字漢文が教えられたほか、英語も科目に加えられた。オラン
ダ語は政府の許可が必要だったから、容易に教育科目に加えることができない。華人子弟
が英語を熱心に学ぶようになると、それが政庁へのショック療法になったのだろう。華人
子弟にオランダ語を学ばせるにはHCSを設けるのが良策だということになったのではあ
るまいか。

中華会館の学校は義務教育でないのだから有料が原則であり、すべての華人子弟が学びに
来るわけではない。そこでどれほど優れた教育が行われようが、インドネシア華人がすべ
て漢字漢文の教育を受けたわけではないと言うことができるだろう。

中国語の会話が流暢にできても、漢字が読めず漢文を書けないインドネシア華人が存在す
るのは何らおかしなことではないのだ。インドネシア華人という言葉がもたらすイメージ
とその実態の間にある落差は信じられないような事実である。


華人実業家で中華会館運動発起人のひとりになった潘景赫Phoa Keng Hekは華人プラナカ
ンについて1907年のムラユ語新聞プルニアガアン紙にこんなことを書いた。

オランダ東インド政庁は東インドの住民をヨーロッパ人・東洋人在留者・プリブミに区分
した。しかし華人子孫がアラブ、モール、クリンなどと一緒に東洋人在留者の区分に入れ
られたのはきわめて心外である。華人子孫は他の異民族在留者に比べてはるかに人口が大
きく、おまけに人口的に第二位のアラブ人子孫よりも何百年も前からヌサンタラで暮らし
て来た。何世代にもわたって家系をヌサンタラで維持し続けた華人プラナカンはもう先祖
の国のことなどろくに覚えておらず、先祖の言葉すら十分に話せない。華人プラナカンは
他の異民族在留者に比べてはるかにプリブミに近い位置にいる。

ここ10年くらい前から東インドとシンガポール・ペナン・中国・日本・イギリス領イン
ドなどとの関係が密接になってきたため、子供を政府の学校に入れるのを希望する華人父
兄が増加した。中国語(漢字漢文)の読み書きに関心が向かわなくなり、そのせいで需要
の減少した東インドにやってくる中国語教師はいなくなった。[ 続く ]