「憐憫を誘うsuapの運命」(2024年09月06日)

ライター: インドネシア大学文化科学部教官、カシヤント・サストロディノモ
ソース: 2011年5月27日付けコンパス紙 "Suap dan Sogok" 

贈収賄犯罪Tindak Pidana Suapに関する1980年法律第11号の文面の内容は、本来の
スアップの意味に対する意識が脱落している印象を感じさせる。この法律が制定されて最
近のように贈収賄スキャンダルが荒れ狂うようになる前、スアップという名詞は食べるた
めにこれから口に入れられる一つまみの飯という理解が普通だった。

一般日常生活においてsuapあるいはmenyuapという動詞は母親と幼児の間でたいへん深く
なじんだ言葉だった。Ibu sedang menyuapi anaknya.という文は、母親が食べ物(おまん
ま)を子供の口に入れてあげる行為を意味していた。menyuapは単なる動詞を超越して本
源的人間性の語感に満ちあふれた、そして同時に愛児に向けられた愛情の実現形態として
の姿を感じさせるものだったのだ。

スアップとその派生語はmenyuapi orang sakit yang perlu dibantuのように、人間同士
の間のエンパシーをも描き出す言葉だった。法律前文の「考慮し」の部分には、スアップ
行為は本質的に社会と民族を危険に陥れる、礼節とパンチャシラモラルにそぐわないもの
であると書かれている。更にこの法律の一般解説にも「スアップ行為は社会の中でさまざ
まな形態と性格で行われており、それゆえに撲滅されなければならない」と表明されてい
るではないか。

文字通りにその文面を解釈したなら、母親たちは愛児におまんまを与えることに恐怖を抱
くようになりかねない。おまけにこの法律の一般解説の締めくくりにはこんな言葉が表明
されている。「パンチャシラを踏まえた清廉で力強い民族精神を養うために、さまざまな
形態と性格で行われているスアップ行為は厳禁されなければならないのである」。

その「さまざまな形態と性格」という文句はあたかも母が愛児におまんまを与える行為さ
え対象にして、それを厳禁するように命じている印象を与えている。つまりこの法律の文
面で使われているスアップという語は、スアップという単語が持っているすべての語義を
一緒くたにし、それらをすべて撲滅させよと述べている印象をもたらしているのだ。

異なったりあるいは対立する語義をひとつの単語が持つ可能性は幅広く存在している。だ
から、その言葉が持つ別の語義を損なわないためにセマンティックな解説が必要になるの
だ。やっかいなことに法律の世界では多分、言葉をそのように扱うことが習慣化していな
いのだろう。そこに使われているスアップの語義は子供に食事を食べさせる意味を含んで
いないことが説明されていない。スアップという言葉が持つニュートラルな性質の語義と、
犯罪的性格の比喩的語義を区別しているヒントがこの法律の文面中のどこにも見当たらな
いのである。


suapの語をsogokに取り換えて、Tindak Pidana Sogokとしてはどうだろうか?やろうと思
えばできないこともあるまいが、すでに出来上がった法律の内容を書き換えることになる
わけだから、関係者の熱意を呼び覚まさないこんな提案は無駄かもしれない。CSTカン
シル編纂の法律用語辞典(2010年)にはsogokとsuapが同義語と記されているから、
正当性はあると考えられる。しかし贈収賄を意味する言葉としてのsuapが法曹界で完璧に
受け入れられていない印象もあるにはあるのだ。ウィドド監修の法律グロサリ(2008
年)やMマルワンとジミーPによる「法律辞典・完全法律ディクショナリ」(2009年)
では見出し語の中にsuapが見当たらない。

贈収賄犯罪の用語としてはソゴッのほうがより実質的であるように思われる。その理由は、
sogokあるいはmenyogokが示している「ゴミで詰まった溝のような阻まれた通路を突き破
ってそこを通す」ための行為という意味のほうが実態に合致していると考えられるからだ。
贈収賄犯罪というのはそのような動かない状態を突き破って動かすための行為にほかなら
ない。母親から幼児に向けられる愛情の表現形態であるスアップとその行為は明らかに、
そしてまったく関係がないのである。