「ムラユの大河(11)」(2024年09月10日)

ムラユ人の祖先にしてスリウィジャヤ王家の元祖という人物の来歴を語る神話に出てくる
イスカンダル・ズルカルナインというのはいったい何者なのだろうか?

イスカンダル・ズルカルナインというのはギリシャのマケドニアをバルカン・エジプト・
インド西部地方にまで広げたアレクサンダー大王のことだと言うのである。そんなギリシ
ャ人の皇帝の子孫がスマトラまでやってきたのだろうか?いや、嫡出の子孫だけを対象に
してこの問題を見てはならないだろう。

大征討軍を率いて小アジアからペルシャそしてインド西部地方にまで進撃したアレクサン
ダー大王が通過した各土地で、地元の娘に子供をはらませる機会を大王が夜な夜な持った
可能性を完全否定することはできないだろう。そんな子孫のひとりがシグンタン丘にやっ
てきたとすれば、その話の蓋然性は高まるようにわたしには思えるのである。


ギリシャ語のアレクサンドロスという人名をアラブ人はアルクサンダルと発音した。ちな
みにエジプトにアレクサンダー大王が設けた都は今もアレクサンドリアという名で残って
いる。この地名はアラブ語でアリスカンダリアと呼ばれた。つまりAleksandriaという発
音をアラブ人はal-iskandariaと捉えたのだ。アラブ語alは冠詞なのであり、単語の一部
ではない。このアラブ語がムラユの地に伝わったとき、ムラユ人はエジプトのその要港の
名称をIskandariahという名前で摂り入れた。

英語ではAlexander the Greatと綴られるアレクサンダー大王の個人名がインドネシアで
Aleksander AgungもしくはIskandar Agungと書かれるのにはそういう背景がある。

ならばズルカルナインというのは何を意味しているのか?インドネシア人の間でこの言葉
はZulkarnainあるいはDulkarnainと書かれるが、イ_ア語ウィキペディアによればその正
式綴りはDzulqarnainとなっている。アラブ語Dhu al-Qarnaynとは逐語訳すると二つの角
を持つ者を意味している。ここで言っている角とはヤギの角だ。

元々ズルカルナインという名前はアルクルアンの中に出てくる人物に付けられた綽名であ
り、この人物がヤッジュルとマッジュルという二つの闘争的種族からその餌食にされてい
るひとびとを守るために、かれらの通り道に目に見えない壁を築いて侵入を絶ったという
逸話がアルクルアンの中に語られている。その善行を実現させるためにアッラーが助力し
たという神への賛辞でもある。

ズルカルナインは地球の西から東までを自分の足で訪れた人物であるという説明も盛り込
まれていることから、アラブ人歴史学者の間でズルカルナインをアレクサンダー大王に類
比する説が盛んになった。しかし実際のアレクサンダー大王はギリシャの多神教信者であ
り、それを根拠にしてその考えを否定する一派もある。

ところが、インドネシア人の多くはその習合説を採用してイスカンダル・ズルカルナイン
という名前をアレクサンダー大王に与えた。こうしてシグンタン丘とアレクサンダー大王
が因縁で結び付けられることになったわけだ。[ 続く ]