「ムラユの大河(12)」(2024年09月11日)

パレンバン市内を西から東に通過したムシ河は北に向きを変えてバンカ海峡に向かう。河
口があるのはバニュアシン県で、その最果てにあるのがスンサン村だ。そこは完璧な漁村
であり、村に入れば魚の臭いが鼻を突く。天日乾燥の塩魚が空間を埋め尽くし、燻製の煙
が風に乗って漂う。

コンパス紙取材班がこの村を訪れたとき、水辺には千を超える高床式の家が立ち並び、そ
の柱に縛り付けられた小舟が何百艘にも上っている風景を見た。取材班を案内した村人は、
もっとたくさんの小舟が漁に出ており、村にはほんの少しの男衆しかいない、と説明した。
なるほど、それだから村の中で目にするのは女性がほとんどなのだ。夕方に漁船が戻って
くれば、村の中は人間でいっぱいになるだろう。

スンサンの住民は増加する一方だそうだ。ところが天然資源がそれに合わせて増えるわけ
がないから、一人当たりの取り分は先細りになるはずだ。村の乙名たちは「分け合って生
きていかなければならないのだ」と語っている。ましてや今の住民はあまり拡張的でない。
いったいいつからこうなってしまったのだろうか?

昔の村人は遠くまで漁に出た。スンダ海峡まで足を伸ばし、漁果をジャカルタのムアラバ
ル魚市場に水揚げした。今の漁民はせいぜいバンカ海峡からカリマタ海峡くらいまでしか
漁場にしない。「今の連中はムアラバルなどへ行ったこともない。」と昔活躍した村民の
ひとりが言う。

船も装備も航行機器もすべて昔のままで、変わったのは船外機が取り付けられているくら
いだ。漁師たちは今でも星と地形に頼って海原を航行している。


この地域にはスリウィジャヤ王国時代にエビ獲り人の集落があった。村の態をなすように
なったのは17世紀になってからで、ジャワの船が難破して乗組員がそこに住み着いた。
1967年ごろからブギス人が漁をするために移住してきた。70年代にはジャワ人の移
住が盛んになり、ジャワ人はこの地にやってきて農業を行い、あるいは製氷工場を作った。
パダン人もやってきて飯屋ワルンを開いた。

スンサン村の人口は1951年に7,531人だったものが1971年には17,663
人に増え、2009年には10万人を突破した。だがスンサン村の住民は回転していると
村人は言う。住民は他地方にランタウに出る。一方で他地方から村に移住してくる人がい
る。ところがランタウに出た者が失敗して帰郷してくるケースも無視できない。人口がう
なぎのぼりになるわけだ。


ムシ河の河口一帯は堆積デルタが形成されており、河は何本も分流を作って海に流れ込ん
でいる。スンサン村の対岸に当たる島を超えた東側に巨大な州があり、スンサン村からそ
こへはスピードボートで30分の距離になる。そこに村が8個できた。そこはマカルティ
ジャヤ郡に属している。スンサンがあまり増えない分子と増えすぎた分母で悲観的になっ
ている一方、この河口州の8カ村は上り坂を闊歩しているように見える。

村の周囲にはヤシ農園が広がり、ヤシの実と加工品がパレンバンばかりかジャカルタやバ
ンドンあるいは他のジャワ島の諸都市にも送られている。マカルティジャヤ郡のヤシ栽培
面積は2.3万Haに達し、ヘクタール当たり250個の生産性を持っていて、日々、乾燥
ヤシの実15万個が国内の各地へ送り出されている。パレンバン市内イリル16市場へも
毎夜船でヤシの実が運ばれている。[ 続く ]