「ムラユの大河(13)」(2024年09月12日) この海岸デルタには水田も作られている。海の干満がムシ河の水位を上下させる土地では あるが、2.5万Haの水田が拓かれて、ヘクタール当たり3トンのコメが生産されている。 マカルティジャヤは穀倉地帯にもなっているのである。 この巨大なデルタ州の開発は1971年に着手された。まず州の内部まで小さい運河が作 られて、ジャワ・バリ・スラウェシの貧困層にトランスミグラシの呼びかけが行われた。 その第1回移住者として西ジャワ州インドラマユからやってきたダミルさん65歳は、作 られた運河はとても小さいもので、船が奥まで入ると戻るのが困難になるような規模だっ たと当時を追憶する。おまけに、人間の生活領域から遠く離れていたため、さまざまな品 物が手に入らないことが苦労の種だったそうだ。 1980年代になって、トランスミグラシ移住者が激増した。先駆者の努力が高く評価さ れて後続者たちが安心して移住する気持ちになったのだろう。それに応じて運河も幅と深 さが拡大され、公共水路としての機能が確立された。 パレンバン市内で船を使って水上ビジネスを行っていたひとびとがこの新開地にやって来 るようになり、生産されている農産物の取引が活発化しはじめた。そのようにしてこのト ランスミグラシ村はしっかりと外の地元社会との結びつきを築き上げたのだ。 その土地に移住したバリ島ヌサプニダ出身のワヤン サニさん36歳は、良い暮らしを楽 しんでいると語る。頻繁に故郷に帰ることができるし、それで自分の暮らしが窮屈になる わけでもない、というのがかれの言う「良い暮らし」の根拠だ。 そこに設けられた運河のひとつの岸辺に立てば、その運河がいかに重要な公共交通路にな っているかを目の当たりにすることができる。たくさんの艀や小舟が右往左往し、モータ ーボートがその間を縫って走っている。運河沿いにはコプラを焼く設備が列をなし、そし て船を扱うベンケルや造船業者の作業場があちこちにある。 ここでは、いくら成功者になって大きな資産を作ろうとも、自動車を持つ者がいない。こ の社会と外の社会が陸路でつながっていないのがその原因だ。外の社会へ行くためには水 路を越えなければならない。その状況はスンサン村でも同じだ。せいぜいオートバイを持 つ者がいるくらいだが、オートバイでひとつの運河の岸から別の運河の岸まで走れば、も う行く場所がないのである。そんな限られた陸地の中とはいえ、公共タクシーとしてのベ チャも何台か走っている。 だからそれらの地区では道路を舗装する必要がない。四輪二輪の自動車などなくてもひと びとの暮らしは十分に自転していて、そのために道路補修に金がかかることもなく、自動 車を通すための頑丈な橋を水路の上にかける必要も起こらない。 しかし大きな問題がひとつある。この地区で電気の供給は動力発電が使われている。発電 機は昼間稼働せず、夕方18時から翌朝6時まで動くだけ。昼間の生産活動で電力を必要 としているものは蓄電池を使わざるを得ない。魚やヤシの実の加工、あるいは製氷など電 力が必要なところはその不便を自力で克服しなければならないのである。[ 続く ]