「ことわざ、その二」(2024年09月30日) ライター: 国語学者、著述家、サロモ・シマヌンカリッ ソース: 2008年5月16日付けコンパス紙 "Pepatah" わたしが困難に絡みつかれたことを知って、親友のロベルトゥスがSMSを送って来た。 同情を述べたあとでそのSMSの最後にかれはこう書いた。「ことわざ(pepatah)の言う ように、gaudet tentamine virtus.」 おかげでわたしは面倒が増えた。神学校を出たからなのだろう、この友人はやたらとラテ ン語を使いたがる。しかたなくわたしは、BJマルウォト=Hウィッダルモノ共著のラテ ン語格言集を開き、そして意味を知った。「試練の中であっても、美徳は常にひとを喜ば せる」 すばらしい言葉だ。だがことわざをどうしてpepatahと言うのだろうか?わたしのインド ネシア語の先生はこう説明してくれた。pepatahとは相手の話をmematahkanするために使 われることわざだ。 うんざりする大口叩きを相手にして、「中身のない空樽はよく響く」といなしてやれ。そ れがpepatahなのだ。相手の話や姿勢の腰を折るために使うスペシフィックなperibahasa がpepatahなのである。 昨今ではほとんどだれもが、プパタという言葉をプリバハサの意味で使っている。たとえ ば公平な王は好かれ、非道な王は嫌われることを述べた「公正な王は敬われる王、暴虐な 王は拒まれる王」をひとは好き好きでプパタと呼んでいるが、これはプリバハサと呼ぶの が正しいのである。 インドネシア語辞典はプリバハサの定義を、一定の語構成を持つ文や句で、たいてい意味 を隠喩で述べるものと書いている。WJSプルワダルミンタのKUBIや国語センターの KBBIの各版、隣国マレーシアのKamus Dewan第3版などがそのグループだ。 バドゥドゥ・ザインのKUBIは少し違っていた。その辞典はプリバハサの定義を、特定 の意図・あるひとの状態や行為行動・あるいは誰かに関することがらを述べることであり、 プリバハサは叙述・プパタ・比喩・たとえ・アナロジーを包含している、と説明している。 では、辞典にプパタはどう説明されているのか?プパタは忠告・教訓・古諺を含んだプリ バハサであるとプルワダルミンタは説明している。 KBBIの前身である国語センターのKBI第2版(1983)がやっと、信頼できる鋭い説述 を示してくれる。プパタとは忠告や古諺を含んだプリバハサ(話し相手をmematahkanする ために使われ、述べられるもの)。残念なことに、「話し相手をmematahkanする」という 重要ポイントがまだ( )の中に収まっている。 確かにmematahkanのセマンティックなフィーチャーがpepatahの語に響き渡っているとは いえ、アントン・ムリヨノの語形変化パラダイムに合わせるなら、mematahkanにつながる のはpematahであってpepatahではない。pepatahはberpatahにつながっているのだ。とこ ろがberpatahという語形を認知している者はひとりもいない。面白いのは、S ウォジョ ワシトのイ_ア語英語辞典Kamus Umum Indonesia-Inggris(1976)がpepatahの語をpematah の派生形としていることだ。 マルウォトとウィッダルモノはその書物のタイトルを「ラテン語格言集=ラテン語のプパ タ」から「ラテン語格言集=ラテン語のプリバハサ」に変えなければならない。それでは じめてしっくりするのである。