「古文書の愉しみ(終)」(2024年10月03日) リムの手紙から当時使われていた輸送手段も解る。ロウソクをはじめとして、だいたいの 物産の輸送には鉄道が使われている。マドゥラ島のスムヌップ在の商人がクサンビ油をス マランに売る場合は船が使われた。プルウォレジョの商人がリムに売った品物は牛車で送 ると手紙に書かれていた。 < 銀行ファシリティ > リムはジャワ銀行や他の銀行を商売の支払いのために利用していた。国際クレジット&コ マース‐ロッテルダム連合からリムに宛てられたメモランダムが2通ある。しかしリムと その会社が関係を結んだのかどうかは判らない。ロウソクや糸などリムが送った商品に関 する通知がそのメモランダムに記された内容なのだ。 1863年創立の国際クレジット&コマース‐ロッテルダム連合という会社は農業銀行兼 通商業務を行う会社であり、この会社が最終的にどうなったのかを調べるのは現代のわれ われにとってはなはだ困難な作業になっている。 リムは家族のために生命保険を利用した。リムの古文書の中にThe Great International Life Insurance Companyという宣伝文句が躍っている封筒が混じっていた。ニューヨーク ライフという生命保険会社がリム宛に郵送したものだ。1905年6月30日のバタヴィ ア郵便局受付け印があり、その年の7月2日にリムが受け取っている。ニューヨークライ フという会社は今もニューヨークに存在している。 The China Mutual Life Insurance Co.のハンコが捺された封筒もあるが、日付も見当た らず、また手紙も見つからないため通信内容は不明だ。それはともかく、当時のビジネス は既に保険でカバーされていたことがそれらの事実から推測できる。 件数は少ないにせよ、電話による通信も既に行われていた。郵便物に書かれた社名に電話 番号の添えられているものが少なからずある。スラカルタ在住のリムの商売相手からのハ ガキには差出人の名前がAgenschap NV Handel Matschappij Sie Sik Hok, Solo, Telefon No.275と記されている。 1906〜1908年の最繁忙期のあと、特に1910年を過ぎてからリムの通信文書が ほんの少しになったのがどういう原因なのか、まるで見当もつかない。1910年以降の 手紙はほんのわずかしか見つからないのだ。リムの最後のビジネスレターが書かれた年は 1920年だ。 リム・チンエッの通信文書の多さを見る限り、かれは当時のスマランにおける大物実業家 のひとりだったと判断して間違いあるまい。そしてそれは同時に、百年前のスマランが農 産物ビジネスの盛況なセンターだったことを示す貴重な証拠でもあるのだ。[ 完 ]