「正しさよりもカッコよさ」(2024年10月04日)

ライター: インドネシア大学文化学部教授、アヤトロハエディ
ソース: 2003年6月21日付けコンパス紙 "Biar Salah Asal Gagah" 

インドネシア語には地方語や外国語など他の言語からの影響が濃いというのは事実だ。そ
れどころか、インドネシア語の語彙は10のうち9が他言語に由来しているとレミ・シラ
ドは語っている。まるで浴用石鹸のCMコピーみたいではないか。そのブランドの石鹸は
10人の映画女優の中の9人が使っているのだそうだ。

インドネシア語に語彙を貸し与えた他言語には、サンスクリット・アラブ・中国・オラン
ダ・イギリス・ジャワ・スンダなどがある。それらは全リストの中のほんの一部分でしか
ない。インドネシア語の中に語彙を投下してくれた他言語はまだまだいっぱいある。

外来要素を摂取したり、拾い上げたり、利用したりする場合、適応が必ず起こる。いやそ
れどころか、原義からの逸脱さえ起こりかねない。今ではpenjahatと同義語に扱われてい
るpremanという語が逸脱した語義の一例だろう。オランダ語のvrijman、英語でfreemanの
原義は拘束や束縛のない人間を意味していた。中でも特に行政上の職に就いていないとい
う意味において。

近年、他言語の言葉を取り込む際に興味深い現象が出現している。最初その現象は綴り方
と書き方に起こったのだが、最終的に語義の逸脱に至った。


Thirta Rasaという名前のレストランがある。そのティルタと発音される語はサンスクリ
ット語源で水を意味する言葉である。その言葉はジャワ語に入って、たとえばソロの遊園
地Tirtonadiという名前に使われた。バリにはTirta Impulという名の、古い歴史を誇る水
浴場がある。Tirta Sutirta, Tirtakusumahなどのように人名にも使われている。

原語の綴りはthirtoと書かれた。はるか遠い昔にヌサンタラのひとびとが摂り込んで、ジ
ャワ語やバリ語の中にしばしば登場するtirtaあるいはtirtoという言葉になった。ただし
thirtaという綴りの言葉は存在しないのだ。だからレストランの名前に使われたその綴り
は耳と目に響きがよくてカッコよく映る要素を追求したものだと言えるだろう。

変な綴りの問題には、デポッの高級住宅地Pesona Khayanganというものもある。いまだか
つて、khayanganという綴りの見出し語を掲載した辞書はない。この語はkahyanganと綴ら
れなければならないのだ。神あるいは祖先を意味するhyangがいる場所を示す言葉なのだ
からkahyanganでなければならないのだ。

語根のhyangは祖先や神を意味しており、ka-anが付けられてそれらがいる場所の意味にな
る。この語はkahyanganと綴られなければならないにもかかわらず、見た目のカッコよさ
と音の響きの麗しさを追求するために意味を持つ単語kahyanganがkhayanganという意味を
持たない言葉に変えられたのである。


別の誤例は参照プロセスを間違えたのが原因のように見えるものの、これも発音の響きの
麗しさを追い求めるために起こったものだ。nuansaは英語のnuanceを摂り込んだ言葉であ
り、最近では雰囲気という意味で使われることが増えている。最も言葉に注意深い新聞と
して定評のあるコンパス紙も同じようにしている。

ところが、この言葉が最初インドネシア語に摂り込まれた時、その意味は「きわめて繊細
な、あるいはたいへん小さな差異やバリエーション」や「たいへん小さな差異の存在を表
明する能力、感受性、注意力」だった。その結果、「nusansa islamiのある住宅地」と書
かれた宣伝キャッチフレーズを目にして、その住宅地の住民たちがイスラム教を極めた篤
信な信徒から形だけイスラム風に自分を飾っている信徒までのさまざまなイスラム信仰心
の子細なバリエーションをそこで目にすることになるという理解を持つ者はもうおらず、
単にその住宅地ではイスラム風な雰囲気が感じられるという解釈をわれわれはするだけに
なった。suasanaというインドネシア語がもう世人の関心を惹きつける雰囲気を失ったた
めに、耳に印象深くて斬新な単語が使われたというだけの話になるのである。

参照プロセスを誤ったスンダ語源のanjang sonoつまり「懐かしさを訪ねる」という意味
の言葉もある。これはブン カルノが話し言葉の中で流行らせたものだ。ブン カルノはジ
ャワ人だったから世人はそれをジャワ語だと勘違いした。

ブン カルノ自身がしばしば批判したように、ソロという地名はジャワ語でSalaと書かれ
る。Soloは音写表記であり、ジャワ語の正書法ではないのだ。勘違いした世人はアンジャ
ンソノをanjang sanaと綴った。だがスンダ語ではanjang sonoのままで正しい綴り方にな
るのである。こうしてanjangsanaという語彙がインドネシア語の中に生まれた。ところが
ジャワ人自身がそんな言葉を知らない。ジャワ語にそんな言葉はないのだから。

上に述べた諸例のような人間の姿勢を世間では「biar salah asal gagah」と呼んでいる。