「インドネシア大統領パレス(7)」(2024年10月04日)

アブドゥラッマン・ワヒッ大統領は独立宮殿を理想のオフィス兼住居と考え、日々そこで
暮らし、そこで執務した。初代大統領以後、ふたりの大統領が自邸に居住することを選ん
だのに反してかれが通学中の三女を除いて妻子を全員独立宮殿に住まわせたのは、大統領
とその家族のための身辺警護および国費支出が一番合理的になるという考えに基づくもの
だった。

最初、かれの一家は国家宮殿に入り、しばらくしてから独立宮殿右ウイングの一室に入っ
て暮らした。かれはスカルノの寝室だった部屋を寝室にし、スカルノの執務室で大統領と
しての政務を行った。閣僚会議やその他の会議はビナグラハで催した。

このムスリム庶民派大統領は大勢のひとびとが集まるのを好み、古くからの仲間であるイ
スラム界指導者たちが訪問すると、かれはペチをかぶってサロンを履き、サンダル姿で出
てきた。そんな友人たちを家族ぐるみ招いてしばしば宴会や会合を開き、独立宮殿を不夜
城にしたそうだ。


メガワティ・スカルノプトリ大統領はビナグラハが表通りに近くて騒音が高いことを理由
にしてビナグラハを使わず、スハルトが国家宮殿と独立宮殿の中間の場所に建てたプリバ
クティレナタマを大統領オフィスにした。建物は改装され、閣議用会議室や記者発表ルー
ムなどを備えたオフィスに変わった。

父親がかの女を育てた独立宮殿には子供時代の思い出がきっといろいろあったはずだが、
かの女も独立宮殿で執務しようとしなかった。独立宮殿は国賓を迎える場所として使われ、
そこで歓迎を受けた国賓はウィスマヌガラに案内されて宿泊した。

メガワティも大統領宮殿に住まないで、クバグサン通りやテウクウマル通りの自邸に住ん
で国家宮殿に通勤した。メガワティは独立宮殿とボゴール宮殿をスカルノ時代の雰囲気に
戻すことに努めたそうだ。そしてボゴール宮殿をインドネシア民族のシンボルにするよう
心掛けた。


スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は独立宮殿に住んだ。かれもワヒッと同じ考えでそれ
を決めた。大統領に就任してから3か月ほど経過したとき、古くなった傷んだ独立宮殿の
屋根の改修工事が行われたので、かれの一家は国家宮殿に引っ越している。

またボゴールのチケアスに私邸があり、時には自分の家に戻ることもあった。特に、政党
首としてなさなければならないものごとを行う場合に大統領としての環境の中でそれをす
るのは不適切であるためそのときは私邸に戻る必要があった、とかれは自著に書いている。
2014年の総選挙の前には、週末にチケアスに戻って日曜日の夜や月曜の朝に独立宮殿
に出勤する姿が頻繁に見られた。

かれはビナグラハを大統領特別スタッフのオフィスにした。かれのときに全国各地の大統
領宮殿に保管されている絵画や彫刻など芸術品としての国家資産の再評価が行われている。
SBY大統領はボゴール宮殿内にインドネシア共和国歴代大統領の博物館としてバライキ
ルティを設けた。


ソロ出身のジョコ・ウィドドが大統領に就任したとき、かれはジャカルタに家を持ってい
ないのでジャカルタ大統領宮殿地区に住んだ。しかし独立宮殿を執務オフィスとして使い、
国家宮殿で閣議を開いたが、独立宮殿には住まなかった。職住同居というスタイルをかれ
が好まなかったためだ。かれの一家はウィスマヌガラの三階に住み、かれはソロ以来のス
タッフを連れてきて、私生活の部分の世話をさせた。かれは私生活と大統領の職務を分離
させる方針を取り、私生活に一般の人間が立ち入ることを好まなかった。

しかし最終的にジョコウィはボゴール宮殿を居住場所に選択した。かれが住んだパヴィリ
オンディヤバトゥリニはスカルノ大統領が1964年に建設を命じたものだった。しかし
それが完成したとき、スカルノはもうボゴール宮殿を使う立場になかった。その完成を祝
したのはスハルト大統領であり、スハルトは週末に家族を連れてボゴール宮殿に遊びに来
ると、そのパヴィリオンに泊まることが多かった。[ 続く ]