「インドネシア大統領パレス(8)」(2024年10月07日)

インドネシア歴代の大統領たちの多くは自邸に住んで大統領宮殿に定居しなかった。もち
ろん必要に応じて大統領宮殿に泊まることは当然行っている。スハルト(第2代)、ハビ
ビ(第3代)、メガワティ(第5代)大統領たちはみんな自邸に住み続けたから、大統領
の自邸の住所名がその大統領名の代名詞に使われる習慣が生まれた。

大統領が自邸で執務すると、その地区の住民は国家首長の隣人という誇りを抱くようにな
る。そのイメージが世の中に伝播して、世間はその地区をエリート地区と見なすようにな
る。チュンダナあるいはチュンダナ通りという言葉はオルバレジーム下のインドネシアで
特別の響きを持っていた。

同じようなことがワヒッ大統領の時にも起こった。かれの時は自邸のあるチガンジュルが、
大統領が住んでいるわけではないというのにエリート地区になった。メガワティの時はク
バグサン、ユドヨノの時はチケアスがそうなった。ジャカルタに家を持っていないジョコ
ウィの時は、自邸のあるソロのバンジャルサリ郡スンブル町が同じような格式を得たとい
う話も語られている。ジョコウィ邸の隣人が「以前この辺りは水田ばかりだったのに、急
に住宅が増えた。」と語った話が新聞に掲載されている。


スハルトが自邸に住み続けたのは、家族にとってその方が良いと考えたからだ。子供たち
が世の中から切り離されて社会生活体験の少ない世間知らずになることを嫌ったのがその
最大の理由だったそうだ。

通貨危機に見舞われたインドネシアへの財務支援をIMFが決めた際に、ミシェル・カム
ドシュ専務理事がジャカルタに飛んでインドネシア政府と協議し、協定を締結した。19
98年1月15日の協定書調印はスハルトの自邸で行われている。スハルトがデスクで書
類にサインしている脇に立って腕組みしたカムドシュの目があらぬ方向を見ている写真が
その時期インターネット上で大ヒットした。

わたしは1970年代のある深夜、ジャカルタのメンテン地区で車を走らせていてチュン
ダナ通りに迷い込んだことがある。通りの入り口から少し奥へ入ったあたりに警備の人間
がいて、車の停止を命じられ、どこへ行くのかと誰何される体験をした。

通りには人っ子一人おらず、車もまったく通らず、森閑とした雰囲気が漂っていた。通り
に出ている警備の人間は二人くらいしか見えなかった。警戒している雰囲気はそれほど強
く感じられなかったのだが、ちょっとでも騒ぎが起こるとあちこちから武装兵がバラバラ
と出てくるようになっていたのかもしれない。

運転免許証をチェックされて運転者が外国人であることが判り、その警備員はわたしに丁
寧な口調でUターンを命じた。おぼろげな記憶の中で、そのときばかりはちょっとしたス
リルを味わったことをいま思い出した。[ 続く ]