「鬘 付け髷 付け睫(4)」(2024年10月10日) 県庁経済部長は、豊かでないプルバリンガ県の産業は中小零細産業が支えていると語る。 その中で多少とも資本規模の大きい製造産業が頭髪商品セクターになっている。産業セク ター別の就労人口は農業が29%で、第二位が頭髪産業の27.3%だ。だが県の総面積 7.8万Haのうち、灌漑用水を備えた農業用地は1.8万Haしかない。出稼ぎ県にならざ るをえないのは、そのあたりに理由がありそうだ。 自動車用消音排気管製造は250の小規模生産者が9千5百人を雇用している。箒製造は 314人を雇用する1社のほかに170の生産者がいて1千3百人を使っている。頭髪商 品製造は大規模会社16社が3.15万人、中小会社が1.67万人を雇用し、家内工業 として275生産者がいるという数字を部長は示した。 大規模会社16社のリストには次のような名前が並んでいて、外資系がたくさん混じって いる印象を漂わせている。Interwork Indonesia, Hyup Sung Indonesia, Yuro Mustika, Hasta Pusaka Sentosa, Indokores Sahabat, Sun Chang Indonesia, Boyang Industrial, Hamni International, Kesan Baru Sejahtera, Royal Korindah, International Eye Lash, Sung Shim International, Best Lady, Fair Lady..... 話が飛ぶが、プルバリンガの町中の三叉路にロータリーがあって、そのロータリーには自 動車のマフラーを手作りしている職人の像が置かれている。筋骨隆々たる職人の体格がリ アリズムから遠い印象を感じさせるために、あたかも理想的なマチョ男性ヒーローが自動 車のマフラーをもてあそんでいるような雰囲気をわたしは抱いてしまいそうになり、プル バリンガのひとびとに対しては実に申し訳ない気持ちになってしまうのである。 この像は言うまでもなく、郷土の優良産業になった自動車用消音排気管製造業界を表彰す るために作られたものだ。1940年代に、プルバリンガロル町プサヤガン部落に手作り の金属製品製造産業が興った。百軒くらいの民家が金属加工作業所を設けてさまざまな金 属製品を作り始めたのである。民家の表テラスで作業する家もあれば、家の裏手で仕事す る家もあった。日本軍政期の物資欠乏時代には、この仕事が大いにもてはやされたと語る ひともいる。 その部落は古い昔からガムランの楽器類を製造していた。金属加工の長い歴史を持ってい たのだ。20世紀に入って歳月が経過するうちにガムランの需要が減少し、モダンな金属 製品の需要が高まったことから、金属加工技術を使う別製品への移行がはじまった。 それぞれの家でさまざまな金属製品が作られた。みんなが炊事用のコンロを作るようにな った時期もある。ところが1960年代になって部落民のひとり、スルトニの作る自動車 用消音排気管が自動車業界の人気を集めた。1970〜80年代にかけて、プルバリンガ 地方一円でピックアップトラックが人間と貨物の公共輸送ツールとして一般化し、自動車 の生産が増えた。マフラー需要が起こって当然だ。その傾向は全国的なものになったから、 全国に手作りマフラー生産者が増加した。 プルバリンガの自動車用マフラー生産は1990年代に黄金期を迎え、5百軒の生産者が 2千人の職人を使って大量の生産を実現させた。消音排気管は自動車製造用部品としての みならず、自動車の修理交換もあればオーナーがアクセサリーとして交換する需要もある。 ジャカルタの町中にもKNALPOTの看板を出しているベンケルが昔はたくさんあった。 プルバリンガの自動車マフラー生産者たちは素材としてのステンレス金属板や廃棄ドラム 缶をトゥガル・ブカシ・タングランなどから仕入れているそうだ。かれらはいまだに小規 模家内工業として先祖が確立させた伝統的な製法を維持している。 金属板のカットは鉄ハサミを使い、カットされた素材をガス溶接で組み立てていく。接続 部分はグラインダで滑らかにし、仕上げは化学薬品を使って表面を磨き、ピカピカにする。 2013年ごろ、ステンレス排気管は一本50〜100万ルピアで売れた。廉価品を求め る客のために亜鉛板と廃材ドラム缶を使って製造したものは10〜45万ルピアの値付け になった。[ 続く ]