「鬘 付け髷 付け睫(6)」(2024年10月14日) プルバリンガ県在住の古老の話によると、プルバリンガ県ボジョンサリ郡カランバンジャ ル村で1950〜51年から付け髷を住民が作り始めたのが歴史の始まりだそうだ。その アイデアはタルマウィ婆という人物が生み落とした。この婆さんは抜けたり切ったりした 髪の毛を拾い集めて、結婚式で花嫁が着ける付け髷を作る商売を始めたのだ。注文がどん どん増えたために婆さんの一家はその製法を子々孫々に伝えて家業にした。一家で手が足 りなくなれば、隣人を誘い込む。親戚にも教えて村の生産力を高める。いつしかカランバ ンジャル村は頭髪を材料にする商品の産地になった。 どうして田舎の村の花嫁たちはそれほどまでに付け髷を着けたがったのか?その時代の女 性たちはビタミン不足だったから、自分の髪だけできれいで滑らかな、艶のある髷を結え るひとが少なかったのだ、とタルマウィ婆の孫であるマルヨトさんが事情を説明してくれ た。晴れの婚礼の場で美しい自分を演出したいのが時代を超えた女心なのだろう。 タルマウィ婆さんは婚礼があると呼ばれて花嫁作りを手伝っていたから、付け髷を頻繁に 作っていた。婆さんは日々、自宅や周囲の隣人から切ったり抜けたりした髪の毛を集め、 釘をたくさん打ち付けた板で髪の毛の束をしごいて長さをそろえ、それを一度水で茹でて から乾かせて粗さをなくし、それで付け髷を作った。 そこから商売へと発展するのに、たいした歳月はかからなかったにちがいあるまい。婆さ んは自作の付け髷を携えて各地の市場を巡るようになった。孫のマルヨトは付け髷作りの 家業の規模を広げ、頭髪素材商品製造工場を建てようとする外部投資家たちのパートナー になるほど地場での基盤を固めた。かれの話では、ジャワ女性の髷にも流行があって、時 代とともにさまざまな変化が起こったそうだ。付け髷も独自の歴史を持っていたのだ。か れはいまだにジャワ様式の付け髷を生産している。 頭髪が村の産業素材になれば、村の中で得られる原料では足りなくなる。髪の毛買い付け 人が他郡や他県に回るようになって、1963〜64年には県内に髪の毛だけを売買する 髪の毛市場ができた。金が必要になったひとびとがその市場へやってきて、髪の毛を売っ た。中にはそこで切らせて金をもらうひとがいたかもしれない。 そんな歴史に支えられて、カランバンジャル村はインドネシアばかりか世界に名だたる頭 髪製品産業のセンターとして認知されるようになった。1980年代にはイギリス人がイ ンドネシア人の頭髪に高い評価を与え、カランバンジャル村へのアプローチがなされたこ ともある。イギリス人はインドネシアの方がインドよりも頭髪のクオリティが良いと判定 したらしい。2000年代に入ると、韓国のメーカーがカランバンジャル村に目を向けた。 韓国資本の工場がたくさんできて、マルヨトはそれらの工場に頭髪を納入するようになっ た。カツラを作る作業は、それらの工場内で行われているそうだ。 カランバンジャル村の中に蓄えられた頭髪に関するノーハウが外来工場にとっては大きい メリットになっている。新しいデザインや新しい製法のアイデアが持ち込まれたとき、製 造現場でそれを実現させるための能力が村の中にあるなら、工場は自社ノーハウの開発が たいへん楽になるにちがいあるまい。プルバリンガがこの産業の中心地になっている現状 に、そうそうたやすく変化がもたらされることはないように思われる。 マルヨトは自分の事業について、毎月5クインタルの頭髪を必要としていると2018年 に語っている。髪の毛はインドネシアの全都市から集められる。調達ルートはふたつあっ て、散髪屋や美容院のルートと個人から買い集めるルートだ。買い取る頭髪は5インチか ら52インチの長さだそうだ。 マルヨトは少数の村人を雇い、家族も交えて自分でも少量の生産を行っている。製品はオ ンライン販売だけでなく商店にも卸している。合成繊維ウイッグは1個15万ルピア、頭 髪ウイッグは1個60〜70万ルピア、つけまつげはペアで3千ルピア。ジャワ風付け髷 は1個1.5〜5万ルピアとのこと。[ 続く ]