「インドネシア大統領パレス(15)」(2024年10月16日) 1955年にはじめての国民総選挙が行われ、スカルノも独立宮殿からムルデカ広場に設 けられた投票所に赴いて投票した。この総選挙は国会議員と制憲議会議員を選ぶためのも のであり、マイノリティ集団の声も反映させるために政府がそれらを代表する者を候補者 に任命した。この選挙に名乗りを上げた政党は172に達し、投票結果は次のようなもの になった。 政党 国会議席 制憲議会議席 シェア 国民党 57 119 22.3% マシュミ党 57 112 20.9% ナフダトゥルウラマ 45 91 18.4% 共産党 39 80 16.4% シャリカッイスラム 8 16 2.9% 政府の政党に対する圧力・公務員への投票指示・マネーポリティクス・宗教感情を操作す る扇動などという行為がこのときの選挙ではいっさい行われなかった。後世はそのインド ネシアで初めての総選挙を史上最高のクリーンな選挙だったと高く評価している。 その選挙のためにムルデカ広場に設けられた投票所のあった地点が、オルバ政権崩壊時か ら習慣化した国政上層に向けて行われるデモ行動のための人気スポットになった。政治デ モの実施場所は独立宮殿に向けられるムルデカ広場のその地点と、国会・国民評議会・地 方代表議会が集まっているスナヤンの議事堂地区表門前が今では定常地になっている。 独立宮殿の表テラスから中に入ると中央広間があり、各国大使が大統領に信任状を奉呈す る儀式が昔からそこで行われてきた。そのためそこはクリーデンシャルルームと呼ばれる こともある。毎年の独立記念日に各国大使が大統領に祝賀を述べる場所もそこだ。 そこから奥に入ると西側のジュパラルームと東側のサロンを隔てる通廊がある。そのサロ ンはそこで執務したり、来客と面会したり、大統領夫人が食事したりするのに使われる。 メガワティ大統領がそのサロンにラデン サレの作品5点を展示してラデンサレルームに したこともある。 通廊をさらに進むと次の広間に出る。独立宮殿内で一番広いレセプションルームだ。国家 催事としてのレセプションがそこで行われる。そこをさらに進むと裏テラスに出る。スカ ルノ時代にそこはオープンテラスだったが、スハルトのときに窓と扉付きの壁が四周を囲 んだ。その空間を出るとオープンテラスがあって、国家宮殿に至る芝生の庭につながって いる。スハルトが閉鎖空間にした元テラスの部屋の壁にアラブ文字のレリーフが掲げられ ていて、「この場所を訪れる者に平和を」という句をそのレリーフが語っている。ハビビ 大統領が掲げたものだ。 スカルノは独立宮殿の東側の部屋を寝所にした。妻のファッマワティと子供たちの部屋も すべて東側にあった。スカルノが入った当時、独立宮殿にはまだエアコンがなく、スカル ノの寝室には浴室もなかった。スカルノ夫妻は宮殿の裏にある浴室を使った。 大統領執務室はレセプションルームと呼ばれている広間をはさんだ向かい側だった。スカ ルノの寝室はいま、独立宣言時に使われた紅白旗と宣言文原稿の保存室になっている。 スカルノは居所を移すたびにその国宝とも言える紅白旗を持って移動した。そして独立宮 殿に入ったとき、その旗は30x40センチの木箱に収められ、スカルノがさまざまな機 会に人からもらった記念品を置いてあるタンスの左上に置かれた。そして上から大統領の シンボルカラーである黄金色の布がかけられていた。毎年、独立記念日の前にはその旗に 風を当てることが行われる。ほころびがあれば国母のファッマワティ夫人が手ずからかが ったり縫い直していたとスカルノの長男、グントゥル・スカルノプトラは語っている。 [ 続く ]