「インドネシア大統領パレス(16)」(2024年10月17日) しかし国宝級のその旗は1968年を最期にして独立宣言記念式典に使われなくなった。 紅色が褪せ、サイズも2x3メートルだったものが196x274センチに縮小したのであ る。その旗は独立宮殿の、かつてスカルノの寝室だった部屋に置かれて眠りについている。 その部屋は今、旗部屋と呼ばれていて、入室に厳しい制限がかけられている。 スカルノは中央広間の円卓に座って独立記念日の大統領スピーチ原稿を作った。その参考 資料にするために執務室から近い図書室にある書籍を取って来る手伝いを、スカルノは学 校から帰ったグントゥルによく命じたそうだ。スカルノは自分が作った草稿を裏のテラス に持って行って、そこに集まって来る友人たちに読み聞かせ、相談し、議論し、意見を聞 いた。 独立宮殿西側のエリアは公式行事のために使われた。宮殿表テラスと大統領執務室の間に オープンテラスがあり、そのテラスのところどころに籐製の来客セットが置かれていた。 そこに座るのはスカルノに会う順番を待つひとびとだ。時にはスカルノ自身がそこに出て きて客に対面したし、あるいは客をそこから宮殿内の広間に連れて行って面会した。記者 会見はたいていそのテラスで行われた。 今そのテラスは壁で囲まれている。半分は各国大使のための待合室になっていて、信任状 を奉呈したり大統領と面会する大使がそこで来客名簿に記帳して呼ばれるのを待つ。残る 半分はジュパラ産の彫刻家具や室内装飾類が置かれているためにジュパラルームと呼ばれ ている。 スカルノ大統領の執務室にもジュパラ彫刻入りチークデスクが置かれ、皮革製の来客椅子 が並べられた。両サイドの壁は三分の二の高さまで書籍棚が占拠した。 その執務室はスカルノが独立宮殿を去ってから32年間、そのままの状態で凍結されてい た。スハルト大統領がそこを使わなかったからだ。ハビビ大統領のときにコンピュータが 3台持ち込まれて模様替えが行われた。 スカルノが独立宮殿内で好んだ場所は裏庭のテラスだった。かれは午前中そこに入り浸る ことが多かった。スカルノ時代に米国大使としてジャカルタに赴任したポール・ジョーン ズはこう書いている。 たいていスカルノの友人たちがそこに集まり、シンメトリックに並ぶ樹木・色彩に富むブ ーゲンビリアの藪・遠くの池に浮かぶ蓮の花、そして芝生が緑色のビロードのように広が っている庭を眺めながらコーヒーを飲んだ。大統領と会話するために、あるいは意見を求 めて閣僚が何人かそこに立ち寄る。カインクバヤに身を包んだ美しい女性たちが結婚の祝 福を求め、あるいは生まれた子供の名前を授けてもらうためにそこへやってくる。 時には気の合う外国大使がそこへ招かれて、モーニングコーヒーを飲みながら歓談にふけ る。映画俳優・アーチスト・商店主・技師・軍将校・警察幹部・政治家・建築家・独立闘 争期以来の旧友・労組リーダー・学生・教授・外国人旅行者・宗教家・哲学者。裏庭テラ スでの普段のモーニングコーヒーに招かれるひとびとのリストがそれだ。 大統領はたいていTシャツに長ズボンとサンダル履きの姿で座っており、客に飲み物が既 に出されていることを確かめながら声をかける。そしてテーブルの上に置かれた何通もの 新聞に目を通し、時に大きい声で読んでいる記事を言葉に出し、コメントを語る。「わあ、 ビートルズがオーストラリアにまで来たぞ。」 スカルノ大統領の時代、大統領が宮殿内にいるときは大統領が在館していることを示す、 黄色地の中央に黄金の星の描かれた旗が表の国旗掲揚ポールに掲げられた。今、そのよう な習慣はもう行われなくなっている。[ 続く ]