「インドネシア大統領パレス(17)」(2024年10月18日)

スカルノが独立宮殿の主になったころ、前庭は広いオープンスペースになっていて、素朴
で開放的な印象が強かった。宮殿の敷地はフェンスで囲まれていたものの、宮殿は開放的
な雰囲気に包まれていた。宮殿の警備もそれほど厳しく行われず、民衆への親近感が色濃
く感じられた。だからあるとき、頭のちょっと弱い市民がひとり、宮殿の表ベランダにぼ
んやり座っていることがあったのも、起こるべくして起こったことだった。

植民地時代に独立宮殿は、異民族支配者の最高峰が鎮座している怖い場所だという恐怖感
を多少ともインドネシア人に与えていた、とジャカルタ住民のひとりは書いている。イン
ドネシア共和国に変わったいま、独立宮殿からその印象をなくさなければならないとスカ
ルノは考え、その実現に努めたために開放的な雰囲気が培われたように思われる。インド
ネシアの大統領宮殿は大統領のものでなく、国民のものなのだ。


1963年、独立宮殿と国家宮殿の間を埋めている芝生の絨毯の上で40人の幼稚園児が
遊んでいた。その幼児は大統領宮殿職員の子供たちであり、本当に幼稚園が大統領宮殿の
中で営まれていたのである。子供たちは庭園内のガゼボに集まり、外部からくる先生を待
った。そのガゼボはオランダ時代に開かれた園遊会で楽隊が音楽を演奏するために設けら
れたものだった。園児の親である宮殿職員たちは宮殿地区内のさまざまな建物に仮住まい
していた。

その年5月のある朝、スカルノが執務していると庭にいる幼児が叫び声をあげた。すると
また別の子が叫び声をあげる。国政を行っている大統領の近くで幼児の叫び声が時おり響
く。そんな場違いな様子にスカルノは顔をほころばせた。ジャカルタの大統領宮殿で生ま
れたラッマワティ、スッマワティ、グルの三人もその幼稚園の世話になった。

宮殿の庭でヤギが飼われていたという思い出をラッマワティが語った。飼っていたのは宮
殿官房職員のひとり。独立宮殿で生まれたラッマワティは自分のへその緒が国旗掲揚ポー
ル近くの土中に埋められていると言う。おかげで最近はよく独立宮殿の夢を見るそうだ。


スハルト大統領に替わってからは、職員の宮殿地区内での居住が禁止された。スハルト自
身も宮殿内でなくメンテンの自邸に住んだ。宮殿地区内での暮らしはスカルノ時代よりは
るかに秩序だったものになった。

スハルト大統領の突然の辞任劇も独立宮殿で行われた。1998年5月21日に行われた
短時間の大統領交代儀式はテレビ中継され、スハルトがスピーチで述べた「王座を降りる」
というジャワ語が流行語になった。

その場で副大統領のハビビが第三代大統領に就任し、最高裁長官の前で大統領就任の誓い
の言葉を述べた。

ハビビとワヒッの時代は宮殿地区にリラクゼーションが戻って来たが、メガワティの時代
には気楽さが減少した。ワヒッ大統領はいざ独立宮殿に入ることになったとき、すぐに入
ろうとせず、独立宮殿の寝室で眠りにつく初日が吉日になるのを待つために、先に国家宮
殿に入って暮らしていたそうだ。[ 続く ]