「鬘 付け髷 付け睫(10)」(2024年10月18日)

プルバリンガにはじめて大規模工場を設けたのがロイヤルコリンダ社だった。オーナーの
ヒュン・サンリー氏が韓国で行っていた事業の先行きに見切りをつけて、プルバリンガに
工場を移転させた。その決心をつけさせたのが、韓国で熟練工の獲得が困難になったとい
うポイントだったそうだ。1967年にヒュンはプルバリンガにロイヤルケニーという社
名の工場を建てた。

ヒュンがプルバリンガで築いた成功例を目にした韓国の同業他社がそれに追随して続々と
プルバリンガに工場を移転させた。プルバリンガの外資系頭髪商品生産セクター大型工場
の多くが韓国資本になっているのは、そんな流れの賜物だったのである。

外資系工場は必ず内資との合弁にしなければならない規則に促されて、インドネシアの国
内資本家が頭髪商品事業に目を開くようになった。2000年代に入ってから、内資の大
規模工場もプルバリンガに立ち並び始めた。

プルバリンガは1970年代から付け髷の生産センターとして国内で名前が知られるよう
になっていた。そしてこの地方の住民が根を詰める細かい作業をやりおおす資質と技能を
持っていたことが、プルバリンガを頭髪産業センターの地位に押し上げることになった、
と業界者のひとりは述べている。


市場でトップの生産地は中国の広州と言われているものの、合成繊維製はたしかにそうだ
が頭髪製はプルバリンガが世界のトップだと主張する業界者もいる。プルバリンガから月
に百万セットの付けまつげを世界に輸出しているメーカーは緩慢な国内市場の伸びにテコ
入れをするために、オルガ・リディア、シャッリニ、チェリベルたちをプロモーションア
ンバサダーに起用して消費者教育を開始した。

プルバリンガで付けまつげの生産に従事している作業者はたいていが女性であり、数千人
の女性が工場やプラスマの作業場で働いている。かの女たちは製造工程の部分部分を受け
持って何年もそればかり行い、ひとつの工程の熟練工になっていく。

それほどたくさんいる女性作業者たちのほとんどが、付けまつげを自分で使わない。「あ
らあ、わたしも最終製品がどんなものなのかを見たことがないわ。」とホティッが言って、
ケケケケと笑った。[ 続く ]