「インドネシア大統領パレス(24)」(2024年10月29日) ボゴール宮殿に隣接している植物園が世界的に高名な施設になっているとはいえ、その宮 殿が総督たちの別荘だったころには植物園も動物園も作られて高位者とその家族たちが暮 らしの中の憩いをそこで得ていた。それらの植物園動物園が宮殿の庭だったころには、ジ ャガイモ畑・ヨーロッパ原産野菜畑・熱帯果樹園・米蔵なども庭の中に作られていた。食 糧自給が当たり前の時代だったのである。 植物園が宮殿の付属施設から切り離されて、1817年に正式研究施設として独立したあ とになっても、そこでは植物だけでなく動物の飼育と研究も続けられた。いま、植物園に 隣接してボゴール動物学博物館が設けられている事実を知っているひとがどれほどいるだ ろうか。知らないひとには不思議に思われるそんなありさまはボゴール宮殿が持った歴史 に根差している。宮殿の動物園では牛・水牛・サイ・象・鹿などが飼われ、鹿だけが宮殿 の表に放し飼いされたというのがボゴール宮殿の鹿の歴史だったようだ。 ボゴール宮殿は日本軍政期に暗黒の時代を迎えたと関係者は物語る。進攻してきた日本軍 にオランダ東インドが無条件降伏した結果、領土の統治行政権を日本が掌握した。日本軍 はボゴール地区の軍司令部をボゴール宮殿に置き、白塗りの宮殿の壁を真っ黒に塗りつぶ し、噴水池を干上げ、芝生の庭を藪にし、裏の植物園は植物が乱雑に伸びるのに任せた。 敵軍機の空襲から身を守るためのカモフラージュがそれだった。 飼われていた動物たちは日本人に食われた。たくさん放し飼いされていた鹿も日本人に狩 られて食われた。しかし藪を作り荒れ放題にされた広大な庭園が鹿のサバイバルに手を貸 した。一部の鹿が苦難の戦争期を乗り越えて生き残ったのである。 インドネシア共和国がオランダ植民地主義者から武力攻撃されなくなったとき、鹿たちは スカルノ初代大統領が復興させたボゴール宮殿を飾るペットになった。国が世話する宮殿 のペットは、食と敵の憂いから免れた暮らしを謳歌し満喫している。ファン イムホフが いみじくも名付けた「憂いがない」を意味するバイテンゾルフという言葉は今や、鹿たち が享受するものになってしまった。ボゴール宮殿でこの世の春を謳う現代の行政高官たち は憂いだらけの毎日を送っているはずだ。 毎日、放し飼いされている鹿におやつを与える職員がオートバイを走らせながらカットさ れたサツマイモをばら撒く。食事用の飼料のほかにもらえるサツマイモは鹿たちの好物な のだそうだ。そのオートバイを追いかけて走る鹿が何頭もいる。 おやつと食事の時間でなければ、鹿たちは三々五々集まって遊んだり、あるいは草を食べ たりしている。宮殿の一部を取り巻くジュアンダ通りを宮殿のフェンスに沿って歩くと、 鹿の姿がしばしば目に留まる。鹿がフェンスのそばまで近寄って来る場所では、道路脇に 路上物売りがいてニンジンを売っている。大人や子供の市民がニンジンを買って近くにい る鹿に食べさせている姿も、この宮殿の外では日常的なものになっている。 ボゴール宮殿官房は鹿の最大許容数を460頭と定めており、鹿の数がそれを超すとバリ のタンパッシリン宮殿などに余剰分を移しているそうだ。そのためにモナス公園にも鹿園 が2003年に設けられた。鹿の話はそんなところにして、宮殿のテーマに戻るとしよう。 [ 続く ]