「インドネシア大統領パレス(27)」(2024年11月01日)

更にスカルノは西イリアンを白人支配から解放するために西イリアン解放戦争を計画した。
アジアとアフリカは長期間にわたって白人の植民地支配のターゲットにされ、自分の土地
にある富を収奪され、住民自身も奴隷にされるという非人道的な扱いを受けてきた。スカ
ルノは心の奥底から白人による地球の支配という世界のあり方に対する憎悪に燃えていた
にちがいあるまい。

奴隷制度を廃止しても、人間が別の人間を奴隷扱いするのを止めることはできないのが現
実だ。肌の色に従った人間の優劣という観念を世界中に広げ、優者は劣者を支配(奴隷扱
い)する権利を持つというヒューマニズムを作ったのは誰だったのだろうか?

いくら奴隷制度をなくしたとはいえ、人間の間に巻き起こる現象は人類が存続するかぎり
永遠に続くのではないだろうか。


5カ国会議はアジアアフリカ会議の準備を進めた。この会議に招く国をスカルノは14ヵ
国選択して既にアプローチしており、5カ国会議もそのリストを承認した。ところがこの
第三ブロック構想に興味を持つ国が続々と集まって来たのである。

最終的にバンドンに代表者を送って来た国は29ヵ国に上った。その当時の国連加盟国数
は60ヵ国であり、ほぼ半分が第三ブロックを作ることを望んだことになる。

白人に支配されないアジアとアフリカというかれの願いが東西ブロックに分裂して争って
いる白人世界とは別のブロックを作るという形でインドネシアの国際外交のまな板に載せ
られたのがスカルノの第三世界構想だったと言えるのではあるまいか。

だから、オランダが西イリアンを除くインドネシアをインドネシア民族の手に返したこと
とスカルノの西イリアン解放のアイデアの関係は、巷間に流布しているガジャマダのヌサ
ンタラ再現が基本主旨だったのではないように思われるのである。それよりもずっとはる
かに大きくて強い衝動が白人によるアジア支配へのかれの反感をかきたてたような気がわ
たしにはするのだ。

しかし白人世界はそれをスカルノの領土拡大欲と見てスカルノを帝国主義者だと宣伝した。
同じことはイギリスがマレーシア連邦を成立させたときにも起こっている。


スカルノはアジアアフリカ会議の議題の中にイリアン解放問題を加えた。そしてオランダ
は西イリアンを解放せよという宣言が29ヵ国の名のもとに採択された。オランダは安心
していられなくなった。

1961年1月31日、スカルノはボゴール宮殿でコマンドマンダラの編成を命じた。オ
ランダを西イリアンの支配者の座から追放するための戦争開始宣言がそれだった。196
2年1月1日にスカルノはスハルトの階級を少将に引き上げてコマンドマンダラの総司令
官に任じた。インドネシア国軍は西イリアン進攻作戦を練り上げ始めた。

この西イリアン解放戦争でスカルノは白人東西陣営の間を綱渡りした。西陣営に属すオラ
ンダの西イリアン支配をやめさせるよう米国などの同属グループに働きかけたがスカルノ
のために犬馬の労を取ろうとする国などない。それを見極めた上でスカルノは東陣営にア
プローチし、スカルノの要請に応じて軍事協力する約束をソ連から得た。

インドネシアの軍事力はいきなりたいへんなランクアップをした。ソ連製の大型巡洋艦や
潜水艦あるいは軍用機が借款購入され、インドネシアは東南アジアでナンバーワンの軍隊
を誇る国になったのである。しかし、いきなり最新鋭兵器を持っても人間の教育がそれに
追い付かない。そのためにソ連はインドネシア軍人への教育訓練にも協力し、それが終わ
らないうちに開戦となったためにソ連兵が秘密でインドネシア軍の航空機や軍艦を動かし
ていたという情報がずっと後になって暴露されている。[ 続く ]