「インドネシア大統領パレス(30)」(2024年11月06日)

4.チパナス宮殿 Istana Cipanas
ジャカルタからプンチャッ峠を越えてバンドンに向かう旧街道からそれて、少しグデ山に
向かって入った場所にチパナス宮殿がある。位置的にはグデ山のふもとに当たるのだが、
そこはもう海抜1千1百メートルの山の中だ。隣接するチパナス植物園はグデ山の登山口
にもなっている。グデ山自身の山頂は海抜2,958メートルの高さ。

チパナス宮殿の敷地は26Haあるものの、建物が建てられている敷地面積は7,760
平米で、野菜畑や鑑賞用植物を栽培する畑などもあり、残りは原生林のまま据え置かれて
いる。


西ジャワ州チアンジュル県パチェッ郡チパナス村がチパナス宮殿の所在地だ。チパナスと
いう名前が示す通り、熱い水つまり温泉が湧いている。その温泉がチパナス宮殿の敷地内
にあるのだ。温泉の水源そのものはチパナス宮殿主館の裏側から百メートルほど離れてい
る。ひょっとしたら、最初にそこに邸宅を建てたオランダ人は温泉を自家用にして使おう
と企てたのかもしれない。

古い記事には硫黄分を含んでいると書かれているにもかかわらず、最近の記事を見ると温
泉は硫黄分をまったく含んでいないと書かれている。古い文書の中には、その硫黄分と鉄
分を含んでいる温泉の水に牛乳を混ぜて飲むと健康回復に効果がある、と医師がグスタフ
・ヴィレム・バロン ファン イムホフにアドバイスしたことが記されている。

インドネシアでは温泉に浸かる場合に1時間を限度と決めているらしいのだが、チパナス
宮殿の温泉浴は2時間が限度にされているという話だ。


長い歴史の中でこの宮殿敷地内の建物群は段階的に増やされた。いちばん最初に建てられ
た主館は大部分が完成したときの面影をそのまま残している。広い表ベランダの床は地面
から2メートルの高さになっていて、優美な印象を訪問者に与えている。建物内にはたく
さんの寝室および執務室・化粧室・食堂などがあり、広い食堂は会議室としても使われる。
裏ベランダは表ベランダよりも広く、そこからグデ・パンラゴ山系の稜線がくっきりと見
える。

1916年に東インド政庁は新たに三つのパヴィリオンを宮殿敷地内に追加した。主館の
裏ベランダも長く伸ばされ、芸能の舞台としても使えるように配慮された。


このチパナス宮殿は最初、オランダ人地主のファン ヒーツが1740年に自分の別荘と
して建てたものだ。ところが1742年にVOC高官のバロン ファン イムホフがそこを
保養所として使い始めた。翌1743年にVOC第27代総督に就任するファン イムホ
フが遠出するとなれば、多数の随行員がなしには済まないだろう。個人用の別荘に団体が
やってくるのであれば、別荘の規模は拡大せざるをえない。

ファン イムホフはジャワ島植民地化構想を抱いてVOCの支配領域を拡大させようと努
めた。バタヴィアの南部高原地帯が当初のターゲットにされ、まずかれ自身が視察を行う
ことにした。1742年8月20日、かれは東インド評議会のふたりのメンバーと医師ひ
とり、土地測量技師ひとり、牧師ひとりを連れてバタヴィアを出発した。一行を護衛した
のは中佐を指揮官にするVOC親衛隊だ。

8月23日、一行はボゴールに到着した。その地の環境のすばらしさに、ファン イムホ
フはそこに住みたいと思ったようだ。バタヴィアに戻ってから、かれは別荘をそこに建て
るよう部下に命じている。

一行はボゴールからさらに奥地のチサルアまで二日かけて進んだ。チサルアにVOCの療
養所を建ててはどうかとファン イムホフが提案し、同行したヨルデンス医師はその提案
に同意した。

チサルアを越えて、一行はそこからさらにプンチャッ峠に向かって上り坂を進んだ。そし
て夕方、温泉がある場所にたどり着いたのである。チパナスと地元民が呼んでいるその土
地に保養所を持とうとかれは望んだ。[ 続く ]