「謝罪されない植民地化(3)」(2024年11月07日)

それをあからさまに証明するようなできごとが2002年にオランダで行われたVOC創
立4百年記念祝典だった。2002年3月20日、祝典はデンハーグの国会議事堂隣りに
あるリダザール(騎士団の殿堂)で始まった。ベアトリクス女王、ヴィレム・アレクサン
ダー皇太子とアルゼンチン出身のマクシマ皇太子妃、諸大臣、国会議員、実業界代表者、
各国外交官、国民知識層などのお歴々が一堂に会したその祝賀の式典にインドネシア大使
の姿が見られなかった。インドネシア共和国はその催しに拒否を表明し、駐オランダイン
ドネシア大使は祝賀期間中に行われたあらゆるプログラムをボイコットした。

インドネシアを武力支配し、かれらが叛乱と呼んだ武装反抗するインドネシア人を皆殺し
にし、植民地主義と帝国主義の権化としてインドネシアの富を奪い去ったVOCの誕生を
その犠牲者であるインドネシアが祝えるはずのないのは当たり前のことだ。


1602年3月20日、アムステルダム、ホールン、エンクハイゼン、デルフト、ロッテ
ルダム、ミデルブルフのアジア貿易を行う会社がオランダ議会の承認の下に合同で連合東
インド会社Vereenigde Oost-Indische Compagnieを結成した。VOCの誕生がオランダ人
に広い世界を目指すオリエンテーションをもたらし、この会社と共にオランダの経済と文
化が大きく成長した。われわれはそれを祝ってしかるべきである。祝典催行委員会はそう
趣旨を述べている。

アジアに向かったVOCの船は続々と、その当時高価な黄金に比せられた東インドのスパ
イスをオランダに持ち帰った。その大成功がアムステルダム株式市場でVOCの株価の暴
騰をうながした。1622年には株価が300%に達し、百年後の1720年に株価は
1,260%の記録を作った。会社の経営状態が危機に瀕した1781年のときでさえ株
価は依然として215%を維持した。

黄金期にはアジアの広範なエリアに設けた港湾都市を領有し、あるいは支所を置き、1千
隻の船がそれらの土地とオランダの間を往来し、全VOC組織で働く社員は3万5千人を
数えた。VOCがその生涯を賭けた2百年間にVOC船隊はアジアとオランダの間で4千
8百回の航海を行い、失敗した航海は192回しかなかった。その成功率の高さは実に驚
きと賞賛に値するものだ。


委員会はこの行事をherdenking(記念)と呼ばずにviering(祝賀)と呼んだ。スポンサ
ー企業はこの催事に関して、昔は貧しかったオランダがVOCのおかげで黄金の世紀を迎
えることになり、豊かな国になったことをポジティブにとらえてそれを祝うのだ、という
意見を述べている。

しかし知識人・歴史家・一部の市民は記念と呼ぶのが適切であると考えた。VOCという
のは単なる通商機構にとどまらず武力をも備えた戦闘機構なのであり、その要素は最初ポ
ルトガルやスペイン、さらに後に加わるイギリスやフランスによるアジア通商独占を打破
することを目的にして備えられたものの、ヨーロッパ勢同士の覇権争奪というフェーズを
乗り越えた後ではアジアの諸国諸民族に対するオランダの植民地主義を先導する牽引車と
して使われた。

その最後のポイントに焦点を当てるなら、VOCの存在を祝う心理はアナクロニズムと見
られかねない、というのがその考えの根拠だ。歓びの心理を表す「祝賀」でなく、単に
「記念」するだけにしておくのが妥当な姿勢だと言うのである。[ 続く ]