「謝罪されない植民地化(4)」(2024年11月08日) レイデン大学歴史学教授はVOCの二面性を指摘した。商人としての顔と国士としての顔 だ。国はこの会社に対して喜望峰とマゼラン海峡を両端にする地域における通商独占権を 与えたほか、宣戦布告・和平締結・要塞建設の権限をも与えたことがVOC設立許可書に 記されている。後ろの三権は商人が行うものでなくて国が行うものなのだ。ということは、 それが商業会社であるという本来的な性質に加えて、VOCは国事行為の代行者にもなっ ていたのである。 別の学者も類似の見解を語った。VOCは独占的通商会社であると同時に軍備を有し、征 服した土地に対する主権をも保有した。それは会社でありながらひとつの国家に匹敵する 性質をVOCが持ったことを意味している。 本来的な通商会社機能を果たすためにVOCは指定地域内にある主権国家と対等の交渉権 ・交戦権・和平締結権を利用し、商館と倉庫の保安を確保するために要塞を建設して軍事 力を使い、征服した国の統治行政のためにレシデンや下位行政高官を配置し、その地で主 権を行使するために領民への裁判を行い、地場の警察や監獄を監督し、貨幣を発行するこ とまで行った。 そのような内容を知れば、たいていの人はVOCのオペレーションを監督する仕組みの中 に国家機関が混じっているような印象を受けるかもしれない。それが嵩じて、VOCが持 った軍事力は国家の軍隊であり、VOCが行った戦争はオランダの軍人が行ったように誤 解するイメージが一般化したようだ。オランダ人VOC総督を軍人と呼んでいる論もネッ ト内に見受けられる。しかし事実はそうでなく、オランダの国家が持った軍隊は別に存在 していて、オランダ国軍はVOCの軍務社員と完全に切り離されていた。国軍兵士がアジ アへ行きたいと希望したら、かれは国軍を退役してVOCに雇用してもらわなければなら なかった。 その制度はVOC倒産後も維持されてオランダ国軍兵士の植民地勤務は禁止されたから、 19世紀以降のオランダ東インド植民地軍で軍務に就いたヨーロッパ人は全員がヨーロッ パで徴募された志願兵だったのである。だからオランダ東インド植民地軍は植民地原住民 兵士の混じった一種の外人部隊だったと言えるだろう。 で、VOCという会社の業務を監督する仕組みは、アジアに置かれた総督や各地の上級管 理者の上にde Heeren Zeventienと呼ばれる、17人で構成される取締役会がオランダ本 国にあり、73人で構成された会社コミッショナー役員会によって承認されたひとびとが その役職に就いた。アジアの諸地域に広がったVOCのオペレーションを監督したのがそ のヒーレンゼヴェンティンなのである。その構成員はすべて連合会社のメンバーである個 別の会社の権益を代表するひとびとであって、国家官僚の資格でそこに混じっている国家 機関の人間はひとりもいなかった。 VOCオペレーションに対して国が行った干渉は、議会がVOCの要人を査問する形でし かなされなかった。だからJPクーン総督が行ったバンダ島の大虐殺は、取締役会がそれ を妥当なものであると見なしているかぎり、議会が取り上げるような案件にならなかった のである。 VOCのもっとも血塗られた人道上の悪事が、1621年にナツメグの産地バンダ島で行 われた原住民大虐殺だったと言われている。それまで地元民が個別に収穫して市場に出し ていたナツメグを独占しようとしたVOCは、すべての収穫をVOCの言い値でVOCに だけ売るように地元民に命じたが、ナツメグを求めてやってくる他国の商人はもっと高い 価格で買ってくれる。他国の商人にナツメグを売る原住民をVOCは、支配者たる自分の 命令に従わない闇販売・密輸犯罪であると断定し、罰を与えた。それでもVOCが定義付 けた闇販売・密輸行為は後を絶たない。行き着いたところが原住民の大量虐殺だったのだ。 この大虐殺によって1万5千人くらいいた地元民の数は1千人を下回ってしまった。 VOCは島に生えているナツメグを独占するために原住民を滅ぼし、ナツメグの世話と収 穫を行う人間を他の地方から連れてきて、やっとナツメグを独占することができた。 [ 続く ]