「謝罪されない植民地化(終)」(2024年11月13日)

VOCの終焉は1798年に訪れた。長期にわたって会社が積み上げた負債が1.36億
フルデンという莫大な金額に達したためだ。それまでこの会社を維持するために国は保護
を与え続けてきたが、フランス革命が生んだフランス共和国を理想に仰ぐオランダ人が1
795年に樹立したバタアフ共和国が匙を投げたのである。

VOCの没落は、スパイス市場の変化、イギリスとの対決という形になった植民地競争で
の敗北、VOC内部を侵食した腐敗の拡大と深化、人材の枯渇などさまざまな要因がもた
らしたものだった。自己の私的利益を追求するために非効率・ネポティズム・虚偽と欺瞞
などの腐敗がVOC社員の間で激化し、自己繁栄のために会社を利用することが習慣化し
た。アジアというヨーロッパより条件の悪い土地に赴いて会社の業績を高めるために自分
に鞭打つ人間がオランダで得られなくなったからだ。それが社員の質的低下を招いた。

VOCを動かしていた者たち自身が巨大企業を私利私欲のために利用するようになり、現
場で会社のオペレーションを監督する人間すら、似たようなものになっていった。企業を
率いて経済活動を営むための適性を持つ人間がVOCにやって来なくなり、ヒーレン17
は冒険主義者に総督職を委ねるしか方法がなくなったのである。


リダザール館の外でデモを行っていたマルクアクションコミティのメンバーはかれらの怨
念を表明した。かれらにとって1602年は終わりのない苦難が開始された年なのだ。か
れらは取材陣にこう語った。「もしもドイツ人がオランダを占領した時期についての祝典
を行ったら、あなた方はどんな気持ちがしますか?」

マクシマ皇太子妃を取材した記者もこう書いた。かの女の父親はアルゼンチンに過酷な軍
事政権を敷いたヴィデラの忠実な部下だった。皇太子成婚を祝う式典に妃の父親は出席を
拒まれている。皇太子妃はオランダのモラリスト階層にこう問い返すはずだ。どうして今
になって、過酷な植民地主義を実践したVOCの誕生を祝うのか、と。

祝典催行委員会委員長のEヘッシンは批判にもめげないで「祝賀」を固守していたが、続
々と出されるネガティブな発言に驚き、心中で「言葉の選択を誤った」と後悔したのでは
ないかとフォルクスクラント紙は揶揄している。[ 完 ]