「インドネシア大統領パレス(38)」(2024年11月18日)

ヨグヤカルタを軍管区に含めている国軍第3師団がスルタンの命に応じた。NICAの占
領下にあるヨグヤカルタで職務を続けている警察と公務員たちがこの極秘作戦に協力し、
1949年3月1日払暁にヨグヤカルタのほぼ全域で占領軍に攻撃を加え、敵を叩いたあ
とすぐに町の外に逃れて行方をくらましたのである。

国軍史に金字塔をもたらしたこの作戦は後に1949年3月1日総攻撃というタイトルが
付けられて、第2代スハルト大統領の軍人履歴を飾ることになった。当時第十旅団指揮官
だったスハルト中佐は部隊を率いてこの作戦に参加していたのだ。


正副大統領が幽閉されて国政に支障をきたしても、首都の行政を止めるわけにはいかない。
そのためにスルタンは共和国の大臣として都行政に関わり、共和国の存続に努めた。かれ
が国王に戻る気持ちを捨てていたことがそこから解る。

独立宣言の直後にスルタンは王国を共和国に献呈したのであり、首都がヨグヤに移される
と閣僚のひとりになった。1946年10月にかれは国務大臣に就任し、1948年には
国務大臣と防衛大臣を兼任している。

首都がジャカルタに戻されたあとも、スルタンとスカルノ大統領の協力関係は継続した。
1950年9月にモハンマッ・ナツィル内閣が生まれたとき、スルタンは副首相の座に就
いている。スカルノレジームからスハルトレジームに移行したあとも、スハルト大統領は
スルタン ハムンクブウォノ9世を経済財務担当上席大臣に抜擢している。


国際世論とオランダ本国からの圧力に動かされてNICAは1949年7月6日に共和国
正副大統領の幽閉を解いた。スカルノとハッタは首都に戻り、グドゥンアグンはふたたび
活況に包まれた。そして最終的に、偏見に満ちた愛国者たちの巣窟であるNICAの未来
が消滅する日がやってきたのだ。

1949年末のハーグ円卓会議でインドネシア連邦共和国の国家主権をオランダが承認し
たためインドネシアにあったNICAの足場がすべて崩れ落ちた。ジャカルタ占領に終止
符が打たれ、スカルノがジャカルタに戻ったことでグドゥンアグンも大統領が定居する宮
殿としての役割を終えた。

ジョクジャ宮殿はインドネシア共和国の孵卵器だったのであり、卵からかえった共和国は
ジャカルタの大統領宮殿で羽ばたきを開始したのである。[ 続く ]