「中華イスラム(4)」(2024年11月21日) ムスリムになった領主なら、領民をイスラム化させるはずだ。というのも、イスラムは人 間のより良い生き方を教える、その時代の新思想だったのである。領主が指導して領民の 間にウンマーを作らせ、領民社会にウンマーが拡大してそのウンマーが領民のすべてを呑 みこんだとき、イスラム化が完成するのである。 そのためには利をちらつかせ、ムスリムへの減税、ムスリムの役人登用、生活上の利便等 々のムスリム優遇政策を施し、反対にヒンドゥ=ブッダ信徒には苦難をたくさん与えるよ うにする。たとえ父親が頑ななヒンドゥ教徒であっても、その息子に代替わりすれば息子 は自分の家庭がより良い暮らしを営めるようにしようと考えるだろう。王宮がそんな政策 を領民に出すことによって、ニ〜三世代が経過すれば領地のイスラム化は完成するはずだ。 「剣かコーランか」などという勇ましくても破滅的な観念とは無縁なのである。 イスラム化=地方領主のイスラム化という的外れなイメージでそれを捉えるひとたちは、 イスラモフォビアで頭の中を洗われることになるかもしれない。次のステップが領主から 領民への「剣かコーランか」という形になることを想像してしまうからだ。 イスラム伝来初期にヌサンタラ各地の王国で、ある王の代にイスラムが奉じられたが、次 の王はふたたびヒンドゥ教に戻ったという例がいくつも見られるのである。イスラム化と いうものがあくまでも社会を対象にしていて、個人の信仰を意味しているのではないとい うことがそこに示されているではないか。 ウンマー設立は領主からの行政統治という上からの牽引と、民衆の中に出現したイスラム 布教者による内部からの駆動力が相和して実現させたものだ。そのふたつのベクトルが協 調的に作用しなければ、地域全体を覆うウンマーの設立という現在の姿の実現は困難にな ったにちがいあるまい。 だからこそ、一般的なインドネシア人ムスリムのイスラム教に関するイメージは平和で寛 容な、ひとに優しい宗教になっているのである。言うまでもなくインドネシアでイスラモ フォビア宣伝など行われ得ないのだから、非イスラム国で行われているイスラモフォビア 宣伝のために「イスラム」という言葉を耳にするだけで背筋に悪寒が走る人間がインドネ シアに存在しないのも当たり前と言えば当たり前のことではあるのだが。 ヌサンタラのイスラム史で宗教拡大に顕著な役割を果たしたのがスマトラのアチェとジャ ワのドゥマッを中心とするイスラム同盟国家群だった。ジャワ島に最初のウンマーがひと つの地域を覆う形で成立したのがドゥマッではなかったかと思われる。その意味で、ドゥ マッという国の成立がジャワ人にとってイスラムの開祖と見なされてもおかしくないので はあるまいか。ドゥマッの大モスクというのは、ジャワ人ムスリムにとって特別の意味を 持っているはずだ。 16世紀初期のドゥマッの様子をわれわれはトメ・ピレスの著作スマオリエンタルから窺 い知ることができる。1512年から1515年にかけて書かれたその著作によれば、海 岸の町ドゥマッにはおよそ1万の戸数があり、住民が生産した米がマラカに輸出されてい た。ドゥマッの町が政治・経済・宗教のセンターになっていて、その当時は在位1504 〜1546年のスルタン トレンゴノが統治していた。イスラムの威勢を誇示しようとし て、ジャワ島のイスラム社会の発祥地となったドゥマッの大モスクをスルタンが拡張した。 [ 続く ]