「インドネシア大統領パレス(41)」(2024年11月21日)

2007年4月27日にはタンパッシリン宮殿が重要な協定締結の舞台になった。スシロ
・バンバン・ユドヨノ大統領とシンガポールのリー・シエンロン首相との間で古くから懸
案になっていた犯罪者引渡し協定が締結されたのである。

オランダ時代から、インドネシアで犯罪を冒した者がシンガポールや香港に高飛びするの
は常道になっていた。単に行方をくらますという効果だけでなく、引渡し協定が結ばれて
いなかったために犯罪者にとっては身柄の安全を確保しやすい土地になっていたのだ。

引渡し協定に従って、汚職・贈収賄・贋札・金融犯罪・テロリズムなど31種類の犯罪に
関連して相手国から犯人逮捕の要求が出されたら、犯人が自国内で何も犯罪を冒していな
くても警察がその者を逮捕して相手国に引き渡さなければならない。


タンパッシリンという地名には伝説が宿っている。tampakというバリ語はインドネシア語
のtelapak、siringはmiringに該当している。tampak siringはtelapak miringを意味し、
ここでのトゥラパッは手のひらでなく足の裏を指しているのだ。

16世紀に書かれたロンタル古文書ウサナバリはバリ人が物語る伝承を文字にして集成し
たものだ。その中に頭脳明晰で神通力に長じたブダフル国の王、マヤデナワの物語がある。
残念なことに、この王は高慢強欲という欠点を持っていた。うぬぼれが嵩じたあげく、自
分は神であると言い出して民衆に崇拝するよう命じた。

ただの人間が神の真似をすると神々の怒りを招く。インドラ神はマヤデナワを滅ぼすこと
に決めて軍勢を差し向けた。神の意志を実現させるための軍勢が進攻してきては勝ち目が
ない。森の中に逃れようとしてマヤデナワ王は王宮を逃げ出した。しかし自分の足跡が地
面に付けば、それが追跡者を導くことになる。

王は自分の足跡が地面に付くのを防ぐために、足の裏を斜めにして足の側面だけが地面に
着くような姿勢で進んだ。そのためにその地域がタンパッシリンと呼ばれるようになった
という地名の由来説話がこれだ。

このマヤデナワ説話を物語るシーンが大統領宮殿内のウィスマムルデカの壁に刻まれてい
る。その壁画は土地の由緒を示す記念碑であると共に、国家統治を行う人間が心しなけれ
ばならない教訓をも語り続けているのである。


Mayadenawaという言葉はmayaとdenawaの二語で作られた単語で、マヤは「〜になる」、デ
ナワは「ラッササ」を意味している。raksasaという言葉は巨人と翻訳されることが多い
ものの、その本質は人間でなくて人間の姿をした巨大な魔物なのであり、日本語の「鬼」
のイメージに近いものではないかとわたしは推察している。古代人のイメージにあった巨
大な人間風の魔物はたいていが邪悪のシンボルにされていた。人間は神通力を使ってさえ
神になることができず、なれるものはラッササしかないのだという教訓をこれは物語って
いるのかもしれない。

ウダヤナ大学文学部教授はこの説話を、人間の性質が悪に変化することを教えているもの
だと解説している。いくら術をきわめ、最高の地位に就き、他に並ぶ者のないパワーを手
にしようとも、それよりもっと強い者が存在するということを教えているのだそうだ。
[ 続く ]