「インドネシア大統領パレス(43)」(2024年11月25日) このスカルノの思いが込められたタンパッシリン宮殿を、スカルノを敵として撃ち墜とし た第二代大統領スハルトは一度も使わなかった。スカルノは1967年に大統領職を罷免 され、スハルトがその後を継いだ。スハルトは、スカルノがサインした3月11日付け命 令書によって大統領職務を代行するよう命じられたことを根拠にして国政の最高位に就き、 そのまま第二代大統領へと移行した。 スハルトレジーム下のインドネシアで政府上層部の高官はだれひとりタンパッシリン宮殿 を使わず、バリ州訪問に際してはみんながヌサドゥアやクタあるいはその他の場所にある 5星級ホテルを宿舎にした。レジームの大ボスが故意に見えない封印をした宮殿を使う度 胸を持つ子分はいないだろう。そんなことをすれば、反逆者の烙印がその者を待ち受けて いる恐れが高いのだから。 スハルト失脚の後に副大統領から第三代大統領に昇格したハビビは、大統領としてタンパ ッシリン宮殿を訪れたものの、ウィスマムルデカにはほとんど足を踏み入れず、貴賓用宿 舎として使われたウィスマヌガラに泊まった。 タンパッシリン宮殿があまりにもスカルノを色濃く感じさせるものであり、ましてやスカ ルノの居所だったウィスマムルデカにスカルノの怨念がこもっていると人によっては感じ ることもあっただろう。とはいえ、ハビビがウィスマムルデカを避けた理由はよく解らな い。 2001年6月に開催されるバリ芸術祭の開会を宣するためにバリ島を訪れたメガワティ ・スカルノプトゥリ副大統領が久しぶりに亡父の愛したウィスマムルデカに自分の家族を 伴って宿泊した。少女時代に家族で泊まりに来たこの宮殿がオルバレジームによって世間 から隔離され、32年間も忘れ去られていたにも関わらず、タンパッシリン宮殿官房は建 物や家具類をよく保護していた。建物内の様子はそれが建てられた時の状態をそのまま残 していたのである。 メガワティの想いはそのとき、昔の楽しかった時代にタイムスリップしたはずだ。1号室 には父が使っていたチーク作りのデスクがある。スカルノがクバヨランバルの家具屋で自 分で選んだチーク材のベッドや二枚扉の衣装タンスなどもいまだに室内に置かれている。 変わったのは、もういない父親と年経た自分自身ばかり。 メガワティはその翌日、家族と一緒に宮殿の敷地内を散策した。普段からあまり内心を他 人に漏らしたり振舞いの中に示したりすることの少ないメガワティがそのときばかりは大 きい感慨に包まれていただろうことは十分に想像できる。 付き添った副大統領秘書官がそれぞれの場所でメガワティにさまざまな説明をするのを、 かの女はリラックスした様子を示しながらも真剣に聞いていた。何十年間も人間が泊まら なかったウィスマムルデカでメガワティの一家が実に久方ぶりの宿泊者になったのだ。メ ガワティに従ったジャカルタからの随行者の中に、人間臭の途絶えて久しかったウィスマ ムルデカにこもっている怪異の気配を感じた者がいたという話もあったらしい。[ 続く ]