「中華イスラム(8)」(2024年11月27日)

ワリソ~ゴは宥和友好の原理を基盤に据えて、既存社会のイスラム化に着手した。イスラ
ムの善行を民衆に教えて実践させ、あくまでもイッサンを最優先し、形から入って信念に
到達するプロセスを民衆に歩ませたのだ、とナフダトゥルウラマ副事務局長は結論付けた。

アラブのイスラムをまったく異なる土壌に丸ごと移植してそれを模倣するようなことを、
インドネシアのイスラムはしなかったのだ。ヌサンタラにイスラムが花開いたとき、そこ
に近視眼的で戦闘的な精神が権威を振るう場が設けられていなかったことをその歴史が物
語っている。ナフダトゥルウラマはそれを「イスラムヌサンタラ」という固有名称にして
インドネシアのイスラム社会に告知した。

権威に対する服従精神の旺盛な人間はその種の折衷を「不純・まがい物・真理の核への到
達を心得ない単なる物真似」と見なす傾向が強いようだが、そのようなモノの見方自体が
本人の権威絶対主義を示していることに気付かないだろうか?権威絶対主義は理想主義の
ようにも見えるが、自分自身が生きるための理想であるならまだしも、赤の他人を権威絶
対主義者にすることが自分の理想になるのでは困りものになるばかりだろう。そこにも同
調主義精神が顔を覗かせている。

イスラムヌサンタラがイスラム宗教テロリズム時代に入った中で生み出されたインドネシ
アの国家戦略であるかのように物語る論説を語るひとがいる。しかしイスラムヌサンタラ
はもっとはるかに古い時代からあった基本的な定義なのであり、宗教テロ対策としてそれ
を大きく取り上げて謳うようになったことと、そのコンセプト自体の誕生は別のものとし
て捉えられるべきではあるまいか。


かつてナフダトゥルウラマの会長を長期間務め、インドネシア共和国第四代大統領にも就
任したアブドゥラッマン・ワヒッの「伝統を動かす」と題する著作には、ワリソ~ゴが執
ったイスラム化のスタイルが既存の民衆社会に大きな変動を起こさないような配慮でなさ
れた結果、ジャワヒンドゥと原始信仰の混じり合った既存宗教に一刀両断で捨て去られる
ことが起こらず、当時のヌサンタラの状況に最適にフィットしたあり方でジャワのイスラ
ム化が完成したと説かれている。

ヌサンタラに伝えられたイスラムはアラブからペルシャ〜インドに伝わって一度異文化の
洗礼を受けたものだったとワヒッは見ている。「13世紀にインドネシアに伝来したイス
ラムは、その前にペルシャそしてインド亜大陸で発展を加えられたものであり、スーフィ
ズムへの傾向を濃く持っていた。」とかれは書いている。


インドネシア科学院歴史学者のアスヴィ・ワルマン・アダム博士はインドネシアへのイス
ラム教の伝来について、いくつかの理論があると説明している。最初のひとつはアラブ半
島南部のハドラマウトに由来しているというもの。ふたつ目はインド、そして三つ目が中
国だ。

ヌルホリス・マジッによれば、インドのグジャラート起源説はグルシッに建てられたマウ
ラナ・マリッ・イブラヒムの墓碑がグジャラートにあるものと同じモチーフになっている
ことを根拠にしているそうだ。加えてアラブ語から入った宗教用語が同一のものになって
いることもそのコンセプトをサポートしている。shalatやzakatなどの借用語の発音が同
じなのである。それらのアラブ語源用語がペルシャやアジア大陸部でまず摂取され、それ
らの土地からイスラム布教者がヌサンタラへやってきたことをそれらの要素が示している
と推測されるのである。[ 続く ]