「中華イスラム(9)」(2024年11月28日)

ところがアジア大陸部で盛んな宗派はスンニ=ハナフィであってヌサンタラで一般的なス
ンニ=シャフィイではない。その点に焦点を当てているのがハドラマウト由来説だ。イエ
ーメンやハドラマウトはスンニ=シャフィイ派であり、ヌサンタラのものと一致する。お
まけにアラブ半島南部地方は遠距離海上交易を盛んに行った歴史を持っている。

しかし、その説では上述の宗教用語の発音に関して解けない矛盾が起こる。それらの検討
が加えられた結果、中国のイスラムがヌサンタラにイスラム教を媒介した可能性がひとつ
の理論として形成されることになった。宗教用語の問題、スンニ=シャフィイ派の問題が
中華イスラムを介在させることで矛盾の解決をもたらす推論を可能にするのだ。少なくと
も、東南アジアのイスラム発展史のある局面で中国が関りを持ったことはだれにも否定で
きないと考えられている。


ヌサンタラへのイスラム伝来の初期の時代、当時の通商の流れは国境・民族・宗教の境界
線を持っていなかった。ヌサンタラへのイスラム伝来のどの理論にせよ、それだけが正し
くて他は誤説であるなどと言うことはできない。すべてが正しく、それらが共存した可能
性すら否定することができない。

それぞれの異なる地域と時期にヌサンタラという広大なエリアにさまざまな場所からイス
ラムが伝来し、それぞれの地元でイスラム化が起こり、それらがヌサンタラのイスラムに
融合発展していった可能性を誰が否定できるだろうか?

アダム博士のその議論は、インドネシアのイスラムが持つ中華イスラムという特異性を存
分に示唆していると言えるだろう。ヌサンタラのイスラムに中華イスラムがひとつの役割
を果たしたことを認めるインドネシア人学者も少なくない。


ジャカルタのシャリフヒダヤトゥライスラム大学非常勤講師で、パラマディナ大学イスラ
ム研究センター調査員のアヤン・ウトリザ・ンワイ氏は次のように書いている。

イスラム教が西暦紀元7世紀中葉に誕生したとき、中国は既に強大な勢力を築き上げてい
た。政治・文化・通商においてアジアで比肩する者のいない存在になっていた。イスラム
がアジア西端の有力な勢力に育ったとき、その両雄の間で交わりが起きるのは当然の成り
行きだったにちがいあるまい。イスラム信徒になったアラブ人商人であってさえ中国との
取引を望むようになって当然だ。アジアの内陸部にできたシルクロードはイスラム教の通
過路でもあったのだ。

アラブ世界には661〜750年にウマイヤ朝が?栄するイスラム世界を実現させ、さら
に750〜1258年のアッバス朝に引き継がれた。中国では618〜907年の唐王朝、
そして960〜1280年の宋王朝がそのクロノロジーの中にあった。

シルクロードは戦争が起きると通れなくなる。アラブ世界で、あるいはチベット族と中国
の戦争が通商路を不通にする事態が発生した。しかし通商路は海にもあるのだ。ムスリム
商船が東アジアへ向かうとき、スマトラ島北岸とマラカ海峡が寄港地を提供した。ムスリ
ム商人はイスラム思想をまだ知らない未開人にイスラムを教えた。それを布教と呼んでも
かまわないだろう。[ 続く ]