「インドネシア大統領パレス(48)」(2024年12月02日)

大統領宮殿が収集した芸術品は膨大な数にのぼっている。2010年にその総数は絵画2
千7百点、像1千6百点、工芸品1万1千8百点から成る1万6千点に達した。

2017年上半期の大蔵省国家資産総局データによれば、絵画・像・楽器の数は次のよう
になっている。それら以外にも中国産アンティーク水瓶などさまざまな工芸品があるはず
だが、そのデータはこの中に含まれていないと思われる。米国司法長官ロバート・ケネデ
ィやイエーメン大統領アリ・アブドゥラ・サレッが時のインドネシア大統領たちに贈呈し
た数百点にものぼる美術品もある。

インドネシア大統領宮殿所蔵の芸術品は6つの大統領宮殿に分散して保管されているので、
その明細も示されている。(絵画点数/像点数/楽器点数)
ジャカルタ  672/459/3,916
ボゴール   685/195/7
チパナス   311/484/81
ヨグヤカルタ 453/194/8
タンパッシリン189/258/22
合計   2,310/1,590/4,034 
評価金額は絵画が圧倒的に大きく、2,310点の絵画総額は1.11兆ルピアとなって
いる。像は19.7億ルピアだから、桁が三つほど違っている。

それらの絵画の中にはRaden Saleh、S Soedjojono、Affandi、Basoeki Abdullah、Dullah, 
Batara Lubis, Rustamadji, Abvas Alibasja, Lim Wasim, Amrus Natalsya, Harijadi S, 
Abdullah Suriosubroto, Trubus, Barli, Mas Pirngadiなどのインドネシア人画家や、ロ
シア人Konstantin Egorovich Makovsky、メキシコ人Diego Rivera、Miguel Covarrubias、 
Carlos Orozco Romero、イギリス人Russell Flint、中国人Lee Man Fong、フィリピン人
Fernando Amorsolo、Antonio Blancoなど外国の巨匠たちの描いたものも含まれている。

リー・マンフォンは後にインドネシアに帰化して大統領宮殿嘱託の画家になったが、G3
0S政変のためにインドネシアを去ってシンガポールに移り、そこに長期間滞在して創作
活動を行った。リー・マンフォンをシンガポールの画家と思っているひとびともたくさん
いる。かれは晩年にインドネシアに戻り、ボゴールに近いプンチャッで75年の生涯を閉
じた。


ラデンサレの描いたPenangkapan Pangeran Diponegoro(1857年)やHarimau Minum
(1863年)などの作品は高い愛国心と大きい歴史的な意義を象徴するマスターピース
であり、中でも「ディポヌゴロ王子の逮捕」は1835年にオランダ人画家ニコラアス・
ピーネマンが描いた「ディポヌゴロ王子の降伏」と題する作品を否定する意図で制作され
ており、インドネシア人にとっては二重の意味を有する作品になっている。

ピーネマンの描いたディポヌゴロ王子は負け戦を背負って落胆し委縮した、うつむきかげ
んの降伏者の姿で描かれている。しかしラデンサレはそれを真実でないと否定し、コック
将軍の狡猾な罠にはめられたディポヌゴロ王子が胸をそらし、頭でっかちに描かれたオラ
ンダ人高官たちを鋭くにらみつけている姿で描いた。

ロシア人マコウスキーのPribite NevestiとVakchanaliaと題する作品2点も19世紀に描
かれたものだ。かれが生涯に描いた3x4メートルくらいの巨大な作品3点のうちの2点
がインドネシアにある。[ 続く ]