「インドネシア大統領パレス(49)」(2024年12月03日) また、バリ島に住んだLe Mayeur de Mepres, Rudolf Bonnet, Jacob Dooijeward, Roland Strasser, Walter Spies, Theo Meierたちヨーロッパ人画家の作品もたくさんそこに含ま れている。テオ・メイヤーの巨大な作品も高い価値を持った美術品だ。ヴァルター・シュ ピースの作品Kehidupan di Sekitar Brorobudur Abad ke-9は90億ルピアの価値を持っ ていると大統領宮殿博物館アート部門長は語っている。 絵画とは別にStoyanovic, Milles, K Strobl, Pastori, Trubusなど国内外の芸術家の手 になるたくさんの像が宮殿の建物内や外の庭に置かれ、あるいは倉庫に保管されている。 青銅・大理石・木や石などで作られた像の中には人間の裸像も少なくない。 裸像を前にして平常心でいられる人もあれば、心穏やかでなくなる人もいる。そのために 大統領宮殿で大勢を招いてパーティが催されるとき、場合によっては普段の裸像が衣服を 着せられている姿を目にすることもある。 ボゴール宮殿の脇の蓮園に近い場所の大きな石の上にSi Denokと呼ばれている銅像が置か れている。デノッというインドネシア語は女性のぽっちゃりむっちりという体形を指す言 葉で、娘への呼びかけ語としても使われる。しかしこの像にその名を付けたのはスカルノ であり、命名の経緯にはスカルノがたいそう気に入った宮殿職員の妻の名前が絡んでいる という話も流れている。 この像は女性がしゃがんで右を向いているポーズをしていて、地面に付けた左の腿に両手 を置いて体を支えている姿勢の裸像だ。画家エルネスト・デゼンチェの娘が体のモデルに なり、顔はボゴール宮殿職員の娘アラがモデルになった。像の制作者はソロ出身のトゥル ブスで、1958年に制作された。 プラムディヤ・アナンタ・トウルは著作の中にこう書いている。ブンカルノはトゥルブス の才能を高く評価していた。G30S事件でトゥルブスが赤狩りの犠牲者になることを恐 れたブンカルノがかれをジャカルタに招いて保護しようとし、トゥルブスはそれに応じて ソロからジャカルタへオートバイで向かった。しかしトゥルブスがジャカルタに到着する ことはなく、その消息はふっつりと途絶えてしまった。かれの身に何が起こったのかを物 語る話は何ひとつ世の中に出されていない。 シ デノッ像はボゴール宮殿が管理している360点の像のひとつであり、カメラの被写 体としての人気はナンバーワンだそうだ。宮殿が一般開放される日には来訪者がそこにた くさん集まって来る。 インドネシア人の芸術作品コレクションの歴史は、バンドン工大建築学部を出たスカルノ 初代大統領が始めたと言われている。かれは絵画を趣味にし、芸術を愛した。スカルノが ジョクジャに首都を移してグドゥンアグン宮殿に入った時、かれは荒れ果てて寂れていた その建物を昔の華麗な宮殿に戻すために美術品を必要とした。インドネシア大統領宮殿の アートコレクションがそのときに始まったのである。 オランダの軍事力に包囲された封鎖状態のヨグヤカルタで、スカルノはいったいどんな方 法で美術品を集めたのか?あの時代にヨグヤカルタで画廊の商売が成り立つとは思えない。 戦争中に美術品を買う人間がどれほどいただろうか。おまけに画廊は外の世界から新たな 商品を仕入れることもできないのである。スカルノは画廊などを求めず、ヨグヤカルタに いる芸術家に作品を作らせてそれを直接買い上げたのだった。自分が望む画題を画家たち に与えて描かせ、それを買い取ったのである。そのため、グドゥンアグン宮殿所蔵の絵画 は闘争とナショナリズムの匂いが濃く漂っている作品に満ちている。[ 続く ]