「傘と笠(2)」(2024年12月06日)

平らで広いモノを頭上に掲げて雨や日射を遮るアイデアは5千年前にメソポタミアで生ま
れていたそうだ。場所がメソポタミアだったのだから、雨などよりもはるかに強烈な日射
対策だっただろうことは十分に想像がつく。幅の広いパームの葉やパピルスが使われ、そ
の柄を奴隷が掲げて貴人の外出に付き添った。社会のエリート階層の使う道具だったこと
が明白だ。

その日よけ道具は古代エジプトを訪れたギリシャ人やローマ人がヨーロッパに紹介した。
古代エジプト第18王朝のファラオ、トゥタンカムーンとその家族は強い日射を防ぐため
に羽毛やヤシの葉をパラソルにして使っていた。エジプトと親しい関係にあったローマや
ギリシャのひとびとがエジプトを訪れたときにそれを知り、帰国したあとそれを真似たの
がヨーロッパ人にとっての傘の歴史の始まりだったと説明されている。

奴隷がご主人様に日陰を提供する仕事に使う道具だったのだから、ヨーロッパ人にとって
も権威と権力のシンボルになっていたことは想像に余りある。王家や王家と関りを持つ上
流貴族階層が使うものであり、庶民には場違いな品だったはずだ。


こうして見ると、傘というものは最初、日傘を目的にして考案され、雨傘は天蓋の防水加
工技術が発達してからやっと世の中に出てきたように思われる。現代人は傘と言えば雨傘
をまず思い浮かべるのだろうが、雨傘は現代から比較的近い過去に出現したものであり、
気の遠くなるような傘の歴史の始まりには日傘が鎮座していたのである。つまり現代人が
持っている「傘とは雨傘」という感覚は傘の歴史に沿ったものでないということが言える
だろう。

面白いのは、英国紳士を象徴する雨傘を英語ではumbrellaと言い、ラテン語umbra(影)
がその語源であるとされている。そして日傘はなんとフランス語のparasolを摂りこんだ
から、語源をたどって行けばその両方が日傘に行き着いてしまう。その点、フランス人は
日傘をparasol、雨傘をparapluieと名付けており、その論理整合性は文句の付けようがな
いくらいだ。

ところがインドネシア語では雨傘と日傘の区別がなされていなかった。KBBIを見ても
payungとは日射と雨を防ぐものと定義付けられていて、雨対策用と日射対策用のものを言
葉で区別していない。そうは言っても、世界の潮流を反映して雨用の傘はpayung hujanと
呼ばれるようになってきてはいる。ところが、日傘を特に意図して使う術語がいまだ出現
していないように見えるのである。どうしてもそれを言いたくなったインドネシア人は英
語のparasolを使っているような印象がある。傘というものの出自がインドネシアでも元
々日傘であったという伝統がそこに反映されていると見るのは我田引水だろうか?


傘のインドネシア語payungはムラユポリネシア系の言葉とされていて、ジャワ語でもスン
ダ語でも同じ言葉になっている。古ジャワ語にすらその言葉があるのだから、ジャワ語が
ムラユ語と親戚関係にあるという説は疑いようがない。

ジャワ語とムラユ語が8割がた同じだと言うひとはいないが、その両者の文構造や文法規
則には高い類似性が見られて、無関係の異言語がたまたま地理的に近い場所にある、とい
う解釈では納得しきれないように感じられる。ムラユ語を元祖とするインドネシア語とマ
レーシア語は同じだが、ジャワ語は違うのだという俗説を否定する発言がインドネシアの
中にもときどき起こっている。ジャワ語もムラユポリネシア系言語のひとつなのだから。
[ 続く ]