「傘と笠(3)」(2024年12月09日) ジャワの歴史においても、傘という道具は元々が日傘であり、権威と権力のシンボルとし て使われていた。傘を持てるのは王家と貴族層に限られ、傘を持つかれらの社会的地位を 象徴した。ジャワ人はステータスシンボルとしての傘をsongsongと呼んだ。 インドネシア語のパユンは独特の語感を持っている。最高権力者である王は国を統治する に当たって民衆の困窮や苦難を軽減させるための役割を担うのが善政とされ、暑い日射を さえぎるための傘の機能が王の権力に結びつけられた。だから傘は単なる権威権力のシン ボルとしてのみならず、王が民衆にとっての傘になるという比喩が世上に流布したのであ る。そのときによく出現する動詞がnaungだ。 ナウンの語義はKBBIで「雨や日射を防ぐために何かの下にいる」となっていて、傘の 恩恵を受ける人間の立場を示す言葉として使われることが多い。語形がパユンとよく似て いるため、その語成形に何らかの影響があったのではないかという気がしないだろうか? 傘を持つ身分の家のステータスは階層構造になっていて、色で各階層の順位が示された。 最高位は王家の黄金色、続いて白・濃緑・青・赤・黒という順番になっている。黄金色の 傘をインドネシア人はpayung kuningと呼び、その言葉は最高支配者の象徴として使われ た。インドネシアで黄色が高貴の色とされていると言われるゆえんだろう。ジャワの貴族 の家では、来客に接するための一番表の部屋にその家のステータスを象徴するクリス・槍 ・ソンソンなどを飾るのが常だった。ソンソンは細分すると42種類に分かれると言われ ている。 王家のパユンクニンは外出時に長大なものが使われたほか、シンボル用として三層構造の ものも作られた。三層のものを掲げて外出する場合は比較的小型のものになったようで、 実用性よりも権威の誇示が主目的だったように感じられる。やはり大型の三層パユンであ れば定置用にせざるをえなかったのではあるまいか。 現代インドネシアで結婚披露宴パーティ会場にしばしば三層のパユンクニンが設置されて いる姿を見ることができるのは、ジャワ王宮の伝統が形成した民衆の価値観が影響をもた らしているのかもしれない。バリ島のヒンドゥ寺院でも祝祭の折に飾られるケースが多い。 権威権力の象徴としてこのようなソンソンはたいてい縁にフリルが付けられて大いに盛装 の雰囲気を高めている。 ジャワ文化研究家はソンソンについて、このように解説している。 ジャワの王はsongsong gilap gubeng, songsong bawat, songsong agungの三つを持ち、 ソンソンギラップは子供たちに与えた。他の二つは時と場所を問わずに拝礼の対象にされ、 傘の下に王がいなくても誰もが拝礼する義務を負わされた。 王の家臣であるプリアイの間ではソンソンが各人の格式と職務の上下を示すプレステージ のシンボルとして使われ、高位のソンソンを持つ家は社会からより高い尊敬を受けた。ソ ンソンを見れば、その貴族が高階層の出自かどうかがすぐに判った。ソンソンは基本的に 同一の形状をしており、天蓋の色と天蓋に使われる骨の数だけが位階の違いを示した。 王国内での秩序は王によって定められていたから、プリアイ層はソンソンの使い方を王に 指示されていた。たとえばスラカルタ王パクブウォノ4世は王宮内で王と王子たち以外の 者がソンソンを使うことを禁止している。 王は王宮の使用人を、貴族は自分の宮殿の使用人をソンソン捧持人に指名して、身の周り に侍らせた。王をはじめとしてソンソンの持ち主はその道具を家宝のように扱ったから、 ソンソンに対して粗暴な振舞いをする者は許されなかった。ソンソンに対する不敬への罰 がどのようなものだったかが現存する古文書に述べられていないとはいえ、決して無事で は済まなかったはずだとその研究家は書いている。[ 続く ]