「傘と笠(5)」(2024年12月11日) 北国で生まれ育ったオランダ人が南洋アジアにやってきたとき、南国の日射に対して日傘 の必要性を存分に感じたはずだ。しかしヨーロッパで日傘は女性のファッションアイテム になっている。総督以下のVOC社員は全員が男であり、ジェンダーアイデンティティの 分裂している者が人間扱いされなかったあの時代に自分で日傘を差そうとするVOC社員 がいたとは思えない。そんなことをすれば、自分の社会生活における未来が永遠に閉ざさ れることをかれらは十ニ分に理解していたことだろう。 ところがかれらはジャワで絶好のものを見出したのである。ジャワ王宮のソンソン文化が それだった。権威権力のシンボルであるソンソンをオランダ人が使うことで、オランダ人 はプリブミ社会から見上げられる存在になり、原住民支配にその心理効果を利用すること ができるではないか。VOC高官たちは奴隷に傘を持たせて自分のために日陰を作るよう にさせた。それはただの物まねや個人の生理的負担を軽減させることが主目的だったので なく、それが引き起こす政治的な効果が十分に計算された上でなされたことだったにちが いあるまい。 だからVOC高官は絶対に傘を自分で差してはならなかった。それは平民の出自である白 人の自分がプリブミの最高権威者と肩を並べ、白人よりクオリティの劣るアジア人に白人 文明が築いた人間の道を教えてやるためのバックグラウンドとして示されなければならな いものだったからだ。そして偶然にもそれは同時に、自分で傘を差すあり方が女性のもの であるというヨーロッパ文化と形式的に一致していた。 17世紀を通してさまざまな西洋人画家が描いたバタヴィアやジャワ島各地の風景画の中 に、傘が描かれているものがたくさんある。その時代の絵画の多くは西洋人がアジアの支 配地でこんな風に暮らしているという視点から描かれており、つまり西洋人画家たちはア ジアで営まれている西洋人社会の断片を描いたと解釈できる。 アジアの支配地で暮らす西洋人は言うまでもなく現地人に囲まれて日々の暮らしを営んで いる。その妻が西洋人である者もいれば、欧亜混血の女性もあり、純血プリブミもいた。 そしてトアンであるその西洋人のお屋敷で働く大勢の召使がいた。召使はたいてい奴隷身 分だったが、平民身分の者がひとりもいなかったとも言えない。ともあれ、ジャワ島各地 の風景画の中に描かれている人間の群像は、たいていがそんな内容になっていた。 ニューホフ、ベークマン、クーマン、あるいはヨハネス・ラッハたちの作品に出てくる傘 は、女性が自分で差しているか、あるいはそばにいる男が差しかけているか、そのいずれ かがすべてであり、男が自分で日傘を差して町中にいる姿は目を皿にしても見つからなか った。女性やトアンのそばにいる男が傘を持っていたり、あるいは差し掛けているケース の場合、その男はトアンや貴婦人の召使にまちがいあるまい。たいていが奴隷身分の者だ ったはずだ。 ところが服装を見ると普通のヨーロッパ人のような服装をしているために、奴隷はもっと 賤しく見すぼらしい姿をしているはずだからこれは奴隷ではないと思うひとが出現するか もしれない。だが考えてみるがいい。下働きをする奴隷は賤しく見すぼらしい姿をしてい て当然だろうが、外出するときに付き添う奴隷にトアンや貴婦人が賤しく見すぼらしい姿 をさせて連れ歩くだろうか? 召使として相応の身なりをさせるに決まっているのではあるまいか。奴隷というものはあ くまでも社会制度の中に作られた身分なのである。たとえ奴隷であったとしても、召使と して働くときにその者は召使としてご主人様にお仕えしているのであって、奴隷としてそ こにいるのではないのだ。[ 続く ]