「インドネシア大統領パレス(終)」(2024年12月11日) スカルノがグドゥンアグン宮殿のために芸術品を購入し始めたとき、かれは職員たちに 「しっかり世話をするように」と言うだけだったそうだ。そのためかどうかよくわからな いものの、それらの芸術品は資産計上がなされなかった。だれもそのことを考えなかった らしい。 1960年代には、大統領宮殿に置かれている芸術品の数が1千点を超えていた。どうや らそれは公職者である大統領の私物という理解で見られていたのかもしれない。私人の私 物でなくて公人が公職を行う中で使う私物という意味だ。つまり、その公職者個人に帰属 している公物と言えばよいのだろうか。スカルノ自身がどうやらそういう言い方をしてい たらしく、そのようなコメントの書かれたインドネシア語記事もある。 実際にスカルノがそれらを購入するとき、自分の金を使うこともあれば国費を使うことも あった。自分の金で買った絵画はしばしば裏にMilik Ir Soekarnoと自分で書き、国費の 場合はMilik Negaraと書いた。しかしそれらの一切合切が大統領宮殿に置かれ、宮殿職員 がそれを世話していたのだ。これは公私混同と言うよりも公私一体という言葉のほうが妥 当な状態なのかもしれない。 スカルノが大統領宮殿を去ったあと、スハルトはスカルノの集めた芸術品をすべて国に帰 属するものと見なしたが、ただの装飾品としてしか扱わなかったようだ。そのために市場 価値を有する国家資産という観念の対象にされなかった。 メガワティが大統領になったとき、かの女はその現実を知って驚いたそうだ。メガワティ はスカルノが自費で買ったものも含めてすべての大統領宮殿コレクションを国に帰属する ものとして追認した。その際に国への寄贈明細リストが作られ、かの女はそこに市場評価 額を書かねばならなかった。しかしその評価額が納得性の高いものかどうかは、また別問 題になる。そのたいへんな作業があまり進まないうちにメガワティの短い大統領任期が終 わり、ユドヨノ政権へと移ったのである。 2005年の政府会計当初資産高にはじめて芸術品が計上された。しかし評価額がまだ有 効でないために仮金額として一律に1ルピアと記された。ところが会計監査庁がそれに物 言いをつけた。そして芸術品評価専門家を交えて一点一点の評価額を検討する作業が開始 されたのである。 半世紀にわたって資産と考えられていなかった芸術品を国家資産と見なすようになったと き、仮の評価額が一律1ルピアと記された。そのときの1万数千ルピアは現在、1.5兆 ルピアという莫大な金額になっている。[ 完 ]