「傘と笠(8)」(2024年12月16日) 日本には和傘と呼ばれる種類の傘があり、唐傘と同じものという説明になっている。明治 期までは「からの国(唐)」伝来の傘という意味で「唐傘」という名称が使われていたと ころ、師事する文明として中国からヨーロッパへの乗り換えが行われた明治時代に、「が ら(柄)がついている傘だから「からかさ」と言っていただけであり、昔から日本で使わ れていたのだから和傘と呼ぶようにせい。」という意向が働いて唐傘という名称が闇に葬 られたような話が語られている。 日本には文明開化前の江戸末期から洋傘が入ってきて、国内生産は明治12〜13年ごろ に始まったそうだ。和傘は明治期の政策がらみで作られた言葉という説明も腑に落ちる気 がする。 インドネシアにもpayung tradisiあるいはpayung tradisionalと呼ばれる傘があって、和 傘と同じように竹の骨に耐水紙を貼った、一見して類似の品物になっている。 和傘にせよ伝統傘にせよ、それらの表現はまるでその傘が地元発祥の品であるという主張 に聞こえるものの、日本の和傘は対義語が洋傘であり、インドネシアのpayung tradisiの 対義語がpayung modernである点を考えれば、合成素材を使って大量生産される傘が市場 に普及したことによって、どちらの国でもそれと対比させる意図で使われるようになった ことが推測される。 本当はどこが発祥地なのかということについては、中国語ウィキペディアに魯班の妻の雲 氏が発明したと書かれている。その傘は竹の骨に動物の皮を貼ったもので、広げたりすぼ めたりができるようになっていた。朝鮮半島を経由して日本に伝わったのは唐の時代だっ たそうだから、から傘は事実を語る言葉だったようだ。 一方、西に向かってはベトナム、ラオス、タイ、マレー半島、ミャンマー、バングラデシ ュ、インド、スリランカに広まった。どうやらその波はインドネシアにやって来なかった ように感じられる。 しかしもっと後の時代にインドネシアにやってきたことは間違いない。なにしろ伝統傘の 生産地として名前の知られている土地は少なくないのだ。ジャワ島ではヨグヤカルタ、ク ラテン、バニュマス、クンダル、マラン、タシッマラヤ。西スマトラのサワルント、バリ のクルンクンなど、続々と続く。どうやら、それぞれが独自の歴史を持ち、また各生産地 の職人が決して他所と同じものを作らず、何らかの特徴を持たせて差別化をはかったから、 詳しいひとが見ればどこのスタイルかが判るらしい。 インドネシアでpayung modernの同義語としてしばしばpayung plastikという言葉が使わ れている。プラスチック傘というのは透明なビニール傘を指すイメージが強いものの、ナ イロンやポリエステルの布地もプラスチック繊維なのだ。インドネシア人が洋傘全般をプ ラスチック傘と呼ぶことの論理性は否定できないように思われる。インドネシア語の中で のその同義語関係は認められてしかるべきかもしれない。 インドネシアにプラスチック産業が入って来たのは1950年代以降であり、インドネシ ア人の大衆生活の中で洋傘が普及したのは20世紀後半のように推測できる。つまりイン ドネシア人が伝統傘と呼んでいる品物はソンソンから個人の手持ち傘への移行に従って生 産が活発化し、プラスチック傘の普及で斜陽になって行ったという歴史をわれわれは想像 することができるのである。そのスパンは意外に短かった。 実際に、伝統傘産業は1970年代にピークを越えたという声も聞かれるのだ。1970 年代初期ごろまで、ひとびとは伝統傘を雨除け日射除けに使っていたが、そのころから市 場でプラスチック傘への移行が強まりはじめたということなのだろう。 そうであれば、payung tradisiに関するかぎり、伝統という言葉の語感が持つ「歴史的に 古くからあるもの」というイメージをわれわれは振り払わなければならなくなる。言い換 えるなら、その「古い」という語義の位置がきわめて現在から近いところにあるというこ とになるのだ。この場合のtradisiという言葉はmodernの対義語として使われている美称 でしかないのではあるまいか。[ 続く ]