「大郵便道路(4)」(2024年12月17日) 西ジャワのチルボンから東に向かっては、大郵便道路とジャワ島北岸街道と国道1号線が 一部を除いてオーバーラップしている。違っていたのはチルボンとスマランのバイパス自 動車専用道、そしてスラバヤの港湾自動車道とスラバヤ-グンポル自動車道だ。 わたしが十数年前にジャカルタとバリ島を十数回車で往復したときにその道を走ったのは 数回だけだった。最初はスマランを越えてさらに東のドゥマッに向かったのだが、その時 期がルバラン帰省前の道路修復工事真っ盛りの時期だったため、スラバヤに着くまでいた るところで通行規制が行われており、はなはだしい時間のロスを被ってしまった。 それに懲りたわたしはスマランから南に下ってソロを通る中央ルートを選択するようにな った。その道路はグンポルあるいはパスルアンに通じているので、距離的に決して遠回り にならず、また道路状態が良好で交通量も北岸街道より少なかったから、そのルートがわ たしの常道になった。通行する貨物トラックの数が大きく違っている印象をわたしは中央 ルートで感じた。もちろんバスなどの大型車両もたくさん走っているから、中央ルートを 大型車両が走らないわけでは決してない。 中央ルートの途中からクディリに向かい、トゥルンガグン〜クパンジェンを走ったことも ある。クディリからバトゥ〜シゴサリに北上してプルウォレジョからパスルアンに抜けた こともあるし、またルマジャン〜ジュンブルを通ってバニュワギの町からクタパン港に達 したこともある。そのときに、ジャワ島にGlenmoreという英語の地名が生き残っているこ とを知った。20世紀初期にイギリス人が開いた農園に付けられた名称が、その土地の郡 の名前としていまだに残されている。 スメル山の中腹を通るその南ルートでは、はじめて通る山道で対向車とすれ違うたびにス リルを味わったが、視界の開けた高台でいきなり視界を覆いつくすようなスメル山の山容 を目にしたとき、山が天上界に通じているという古代人の信仰の源泉がこれではないかと いう思いをかみしめることができた。ブロモ山に登って遠景を眺めただけでは、心の琴線 に触れるスメル山の迫力を体験することはできなかっただろう。 歴史の話に戻ろう。スマランに到着したダンデルスは5月5日にジャワ島北岸沿いを通る 一貫道路の建設を部下に命じた。西端港アニエルからバタヴィアへ、バタヴィアからプリ アガンを経由してチルボンへ、そしてそこからスマラン〜スラバヤを通ってジャワ島東端 港のパナルカンまでの一貫道路を建設せよというのがその命令の内容だった。 工事の開始は即座に行われたようだ。工事の着手日をネット内で調べたものの、わたしが 見つけた情報はすべて、工事が5月5日に開始されたと書かれていた。小手調べというこ とだったのかもしれないが、第一期工事はチアウィからプンチャッ峠を越えてチアンジュ ルに下り、更にラジャマンダラ〜バンドン〜パラカン〜ムンチャンを経てスムダンに至り、 東進してチルボンに達するルートだった。東インド政庁が自らその工事を実施した。 どうしてバタヴィアからにならなかったのかと言うと、バタヴィア〜バイテンゾルフ間は 立派な道路が18世紀半ばごろに既に作られており、「南往き街道 De Groote Zuiderweg」 と呼ばれていた。この道路の話は拙作「南往き街道」がご参照いただけます。 http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-13JalanRayaSelatan.pdf [ 続く ]