「傘と笠(12)」(2024年12月20日) 傘よりも古い歴史を持っていると思われる笠について調べたところ、中国の笠の歴史につ いては、今から4千〜5千百年前の浙江銭山楊遺跡から2百個を超える竹編みの斗笠が発 見されているそうで、やはり傘よりもはるかに古いものであることが分かった。 中国語辞典に記されている笠の語義は「竹を剥いだものや竹の葉で編まれた、雨や日射を 遮るための帽子」となっていて、傘は「雨や日射を遮るための道具」であり、同一用途な がら別の品物という概念の違いになっている。 一方日本語辞書によれば、日本人は笠という言葉を傘と同義語としており、「日光・雨・ 雪などが当たらないように頭にかぶるもの。藺?(い)?・菅?(すげ)?などで浅い円錐形に作 る。「傘」と区別するために「かぶりがさ」ともいう。」という定義が与えられている。 傘は差すもの、笠はかぶるもの、という用法の違いが意識されているようだ。 日本には笠の種類が山のようにあって、材料別で7種、用途別で20種、形状別で13種 というたいへんな笠文化の国になっている。ところがインドネシア語には傘を示す言葉と してpayungが直下的に存在している一方、笠に該当する品物が現実に存在しているという のに、おかしなことに笠を示す言葉は多義性を持つ言葉を使わざるをえない状態になって いる。日本人がそれを見ればだれもが「そりゃ笠だ」と言うものが普通に使われているに もかかわらず、笠に直接該当する言葉が作られていないのである。 インドネシアにはcapingという円錐形状の竹編み笠がある。KBBIにその語義は「頭を 覆うための竹で編まれたもの」と記されており、そこには「頭を覆うもの」としてtudung kepalaという言葉が使われている。tudungの語義は「上部を覆うもの」という機能本位の 語義だ。わたしがトゥドゥンという言葉に初めて触れたのは、食卓の上に置かれた料理に ハエなどがたかるのを防ぐためのtudung sajiという言葉だった。いわゆるフードカバー を指している。 このtudungというインドネシア語は華語の頭兜に由来しているという説明が見られるのだ が、中国語辞書で頭兜の意味を調べると後ろ首を保護するために帽子の後ろにつける垂れ 布(ネックガード)という語義になっており、インドネシア語のトゥドゥンとは意味が違 いすぎていて不審を感じるのである。 北京語発音はトウドウであり、中国南方諸語もタウダウとかテウテウというような発音に なっていて、似ているような気がしない。どうも中国語源インドネシア語の元単語に我田 引水(と言うか無理なこじつけ)の雰囲気を感じる経験がわたしには再三あるのだが、同 病の読者はいらっしゃらないだろうか? 語源話はさておいて、電灯の上に付いているランプシェードはtudung lampuになる。当然、 頭を覆うものはトゥドゥンクパラになる。とはいえ、トゥドゥンクパラは頭を覆うために 使われるすべてのものを意味することになる。だったらどうしてcapingを笠に対応させて 使わないのだろうか? インドネシア人はチャピンをしばしばtopi capingと呼ぶように、それを帽子の一種と見 なしているのだ。中国人も笠を帽子のカテゴリーに属すものと見なしているようなのに、 果たして日本人は笠をそのように見ているだろうか?笠と傘が同義語になっていることを 思えば、どのくらいの日本人が笠と帽子を同一カテゴリーと見なすことができるかについ ては悲観的になってしまう。笠=傘=帽子を受け入れられる脳を持っている人は相当に珍 しい日本人ではないかという気がわたしにはするのである。[ 続く ]