「大郵便道路(9)」(2024年12月24日) 他にあるいくつかの乗り物は一般庶民の使うものではない。たとえばさまざまな形をして いるレイスヴァーヘン。これは数人の乗客と荷物を載せることのできる馬車だった。たい ていC字形のバネが使われていた。後ろに折り畳むことのできる帆布の屋根が設置されて いる馬車はイギリスのbaros(barouche)で、4〜6頭のサンダル馬が引き、1時間で10 パアル以上の距離を走った。 (訳注:サンダル馬とはスンバ島産の馬のこと。下をご参照ください。) http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-68KudaNusantara.pdf レイスヴァーヘンは東インド政庁の下級官吏や牧師がよく使った。かれらばかりか、その 他のヨーロッパ人も、レイスヴァーヘンの車軸がカハルドンダンに比べて強度が劣り、走 行中に車軸が折れる事故がしばしば起こったのを苦情していた。そのためにレイスヴァー ヘンの方が速いにも関わらず、役人たちはカハルドンダンを使うように命じられると喜ん だそうだ。 郵便馬車kereta (caretta) posはその名が示す通り行政府の郵便制度で使われる馬車であ るが、ひとりふたりの乗客を載せることもした。 カロスkaros(carosse)はstaatssiekoestsのことであり、高官が儀式の際に儀典作法に従 って使う乗り物だ。 ベンディBendy(chais または tilburg)やミロールmylorなどは農園主や金持ちが使う乗り 物であり、たいてい農園主が農園で使ったり、金持ちが街中を巡遊する際に使った。 道程 プンチャッを通らないでジャカルタからチアンジュルに至る唯一の道路は新道(軍用道路) であり、ボゴールの第1ポストからチチュルッ、チフラン、チマヒの各行政区の役所が置 かれている町とグデ山南麓にあるスカブミの私有地De Wildeを通る。スカブミからチアン ジュルまでは19パアルで6時間かかる。この新道はプンチャッ越えの道と同様、通過す るのにたいした困難はない。 大郵便道路には替え馬として公用馬を用意している東インド政庁の施設(rumah pos)が平 地部で6パアル、坂道のある山岳部で5パアルごとに設けられた。ルマポスは長大で高い、 壁のない開放的な建物が街道をまたいでひとつ設けられ、その建物の左右は公用馬の厩舎 になっている。厩舎の床はレンガを敷き詰め、砂と石灰を練ったもので固めてあり、道路 面より高くなっている。やってきた郵便馬車は疲れた馬がほんの数分のうちに元気な馬と 入れ替えられる。 それを待つ人間は身体を伸ばしてうろうろと歩き回ったり、塗装なしのカンプン製の木の テーブルに座って飲食したりした。サービスするのはプリブミの支配人postmeesterで、 湯・牛乳・茹で卵などを妥当な価格で提供した。 公用馬で旅をする者は夜になると、6〜7パアルごとに設けられた宿泊所pesanggrahanに 宿泊できる。その公用宿舎を世話しているのはヨーロッパ人官吏で、ルマポスの支配人と 同じように政庁から給料をもらっている。そこに泊まる者も飲食物を妥当な価格で買うこ とができる。 しかし私的な旅をする者はそうはいかない。ルマポスで支配人から湯・牛乳・茹で卵など を買うことはできるものの、プサングラハンで泊まったり飲食することはできないのだ。 そこは公用者のための旅宿なのであり、副レシデンの許可を示す書類があってはじめて民 間人の宿泊が許される。 そんな用意をしていない民間人は夜闇の中をたいまつやロウソクの灯りを持って旅を続け るか、もしくはカンプンで宿をとることになる。民間人は自宅から飲食物を持って夜明け 前の早朝に家を出立し、目的地にあまり夜遅くならないうちに到着するように旅をした。 街道脇で旅人に休憩や飲食をサービスするワルンはまだあまりできておらず、たとえあっ たとしても夜になるとみんな店を閉めた。 大郵便道路は一日中静かで寂しく、怖い場所だった。夜明け前や正午過ぎなどに商品を積 んだプダティが時々通過したり、あるいは近隣のパサルや毎週決まった曜日に開かれる遠 くの曜日市場に往復する村人が商品を担いで通り過ぎるだけだった。[ 続く ]