「傘と笠(16)」(2024年12月27日) タングランが特に竹編み帽子生産に強かったのは、タングラン地方で川の流域を中心にし て竹がたいへんに豊富であったことが主要因だと言われている。スンダ地方は竹が豊富で あり、内陸部から竹でいかだを組んで川を下ることが何百年も前から行われていた。チサ ダネ川を下って来たいかだはタングランの町中にあるタンガロンゲンやタンガジャンバン などの船着き場に到着すると分解され、竹として売られた。建築資材としての売買が多か ったが、竹編み帽子などの竹細工用にも使われた。中にはモーケルファール川に抜けてア ンケ川を通り、バタヴィア城市に達するいかだもあった。 タングランには華人が多く住み、中華文化がプリブミの生活にも影響をもたらしたために、 住民の間での竹の利用が盛んになった。プリブミの中に、タケノコを食用にし、竹の葉を 使って粽を作る者も出現した。タングランに大勢住んでいる華人相手の商売がそれで行え るのだ。もちろん、自分でも食べただろう。豚肉を鶏肉に変えて粽を作る。タケノコを食 用にする華人の処理方法に対してプリブミの中にションベンの臭いがすると批評する者も いたが、それでも食ってみりゃうまいと言う人もあったにちがいない。 1955年には竹を素材にする編み帽子生産センターがバララジャ、チクパ、チュルッ、 チソカにあった。タングランの町にもポス通り、バハルディン通り、ンブンジャヤ通りに それぞれ工場があり、またベンテンマカッサル付近にも工場がふたつあった。 それとは別にパンダンを素材にする編み帽子生産センターがスルポン、スディマラ、ルン ピンにあり、たいてい帽子とござを作っていた。 一般家庭の主婦たちが内職に竹を編んで帽子のパーツになる仕掛品を作り、それを仲買人 が買い集めて工場に卸すことがタングランで大規模に行われていたのである。タングラン が産地であるという意味は、社会的な規模で生産が行われていたということが重要な要素 になっていたようだ。 仲買人は作られたものを見てクオリティを判定し買取価格を決める。最低品質はooo級、 その上が00級、そして0,1,2...10までの等級が使われた。しかしこういう感覚的なものご とは一律が困難であり、仲買人によって品質評価は違っていたそうだ。そのころ、最低品 質の000級で買取価格は0.55ルピア、つまり55センだった。 仲買人から仕入れた仕掛材は工場で化学薬品に浸けて加熱され、色を白くするとともに耐 久性を持たされた。そして帽子の形に作り上げられてから最後の仕上げにつばの円周が手 縫いされた。 そのころ既に竹編み帽子の品質基準書が作られており、竹素材のカット方法の優劣から品 質の差が始まっていた。タングラン産の竹編み帽子は10段階の5であればもう高品質と 見なされていたそうだから、竹編み帽子業界者にとっては理想と現実の隔たりがそこに大 写しになっていたのではあるまいか。[ 続く ]