「大郵便道路(12)」(2024年12月30日) < チルゴン Cilegon > アニエルから大郵便道路を19キロほど進むとチルゴンの町に入る。現代インドネシアに おけるチルゴンは工業都市だ。「鉄の町」というニックネームすら付けられている。とい うのも、チルゴンには国内最大の製鉄所クラカタウスティールが建設され、更にそれを含 んで工業団地が設けられて年間生産量6百万トンという東南アジア最大の鉄鋼生産量を誇 っているからだ。 この製鉄所はスカルノ大統領がソ連から資金と技術の援助を引き出して開始されたものだ った。建設工事は1960年代初期に始まった。G30S事件という、スカルノレジーム からオルバ時代への移行期の大混乱の中で、この製鉄所をはじめとして建設中だったあち こちの工事が無主の宝庫になった。G30S事件というのは赤狩りと殺戮を全土に広げた だけでなく、それと並行して無秩序と略奪にも全土を覆わせ、前レジームが作った姿を消 滅させようと図ったのだ。 スカルノが命名したトリコラ製鉄所は1970年にクラカタウスティール株式会社に改名 された、 Cilegonという地名の語源はスンダ語ci + legonで、ciは水、legonは入江を意味している。 別説としてlegonは窪地を意味し、cilegonは水の溜まった窪地のことだというものもある。 ちなみにスンダ語legonは弱母音のルゴンだから、地名の発音はチレゴンよりもチルゴン のほうがオーソドックスだろう。 ここは伝統的にバンテンスルタン国の要衝であり、そして伝統的にVOCと植民地主義に 反抗するセンターのひとつでもあった。その大きな業績のひとつに1887年の民衆叛乱 があり、そのとき副レシデンをはじめ白人居住者が多数殺された。現代の住民はその栄光 ある反抗者の子孫を自認し、その誇りを隠さない。 1651年、チルゴンはバンテンスルタン国に服属する寒村だった。土地の大半が湿地帯 のために人口は少なかった。しかしスルタンアグンティルタヤサの治世下に起こったバン テンの黄金時代にはセランとチルゴンで大規模な開拓が行われ、その結果この地方一帯は 有数の水田地帯になった。栄える土地にあちこちから人が集まって来るのは世のならいで あり、チルゴンは雑種文化の土地になっていった。 1816年、スルタン王国が廃止された後、セランを首府にするレシデン統治区の下部行 政区画としてチルゴンにウェダナが置かれた。しかしムルタトゥリの小説「マックスハフ ェラアル」が示しているような一般民衆の貧窮生活が住民を叛乱に向かわせたのだ。それ が1887年のできごとだった。 大郵便道路から離れてチルゴンの町から北西に14キロ行くとスマトラとジャワを結ぶフ ェリーの港ムラッがある。ダンデルスはイギリス軍侵攻の備えとしてムラッに要塞を築く よう命じた。上陸軍を撃退するだけでなくスンダ海峡の通行をも阻むのに適切な位置にあ ると考えたのだ。だがその場所に要塞は完成しなかった。 歩兵部隊と砲兵部隊が派遣されて要塞建設が開始されたものの、地元で徴用されたプリブ ミ労働力と派遣部隊のすべてがマラリアの餌食になったのである。[ 続く ]