「ダンデルス(2)」(2025年01月03日) フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがフランス革命の信奉者ダンデルスを高く買った。 フランスの強敵であるイギリスがフランスの海外領土を占領する戦略を開始したため、オ ランダを通してフランスの支配下にあるジャワをイギリスの侵略から守るための指揮を執 らせるのに最適な人材とナポレオンはダンデルスを見たのだ。 1807年1月28日、ダンデルスに第37代東インド総督の辞令が出され、ダンデルス はアルベルトゥス・ヘンドリクス・ヴィ―セ第36代総督と交代して現地の統治行政を掌 握することになった。それと同時にダンデルスは現地防衛軍最高司令官の地位をも与えら れた。イギリスの野望を打ち砕くことをフランス皇帝はかれに望んだのである。ダンデル スはすぐにジャワへの赴任の途に発った。 元々、VOCの総督というのはVOC軍の最高司令官を兼ねていた。VOCの会社活動の 中に商務部門があり、また軍務部門があって、それらのすべての最高責任者がVOC総督 だったのだから、軍事活動の最高司令官の機能も総督の地位に貼りついていたのだ。しか しVOCが倒産し、倒産を命じたバターフ共和国がフランスの傘の下に入ったとき、東イ ンド総督はVOC総督でなくなり、またオランダの国益の代表者でもなくなっていた。オ ランダ東インドにおける軍司令官の地位が総督に対して表立って謳われたのはダンデルス が最初で最後だったのではあるまいか。 イギリスが東インドをオランダに返還してから、オランダ東インドはオランダ王国の領土 になり、そしてオランダ国王がその領土の統治支配を委ねた人間がオランダ東インド総督 になった。オランダ東インド総督はオランダ政府や議会に対する直接責任を一切負ってお らず、ただひたすらオランダ国王の代理者として東インドの領土を統治した。当然、その 領土に置かれた軍隊も総督の指揮下にあった。だからオランダ東インド植民地軍最高司令 官は総督に任命される部下だったということになる。 イギリスは1800年にバタヴィアを海上封鎖し、おまけにジャカルタ湾に浮かぶオンル スト島のVOC造船所を再起不能になるほど叩き潰した。そのニュースを聞いたダンデル スはまだ見ぬバタヴィアの防衛能力がとてもイギリス軍と戦えるレベルでないことを即座 に見抜いたようだ。 イギリスはジャワ島に王手をかける前にマルク地方をオランダから奪った。ジャワ島占領 大キャンペーンの準備段階として、イギリス海軍はジャワ島周辺海域の制海権を確保する 動きに出た。一隻のフリゲート帆船がバタヴィア湾に侵入してオランダのフリゲート船を 拿捕し、武装解除した。そのときバタヴィア湾には何隻ものオランダ軍船が遊弋していた というのに、他の船はみんな高みの見物としゃれこんでいたそうだ。 1806年と7年にイギリス海軍の小戦隊がバタヴィア港とグルシッ港を襲撃した。18 06年11月の襲撃では、イギリス軍船から降ろされた数隻の短艇が海岸目指して逃げる オランダ軍船を追いかけ、数隻のオランダ軍船と商船に火がかけられた。イギリスの短艇 は他のオランダ軍船の射程距離内で動いていたにもかかわらず、無傷だった。[ 続く ]