「大郵便道路(16)」(2025年01月06日)

バンテン軍が西洋式の軍事操典を習得したのも逃亡者の貢献だった。逃亡者のひとりでバ
ンテンに名を遺した石工ヘンドリック・ルカースゾーン・カルディルはイスラムに改宗し
てスルタンの側近になった。かれはヨーロッパ式建築工法をバンテンにもたらし、バンテ
ンの建築職人を使ってバンテン大モスクやタマンサリティルタヤサを建て、スロソワン宮
殿の改築も行ったと言われている。バンテンの建築職人たちはその時代、ヨーロッパ風巨
大建築をそれらしく建てる技術を既に身に着けていたと言えるだろう。

現在ジャカルタ動物園のあるラグナンという土地にカルディルが関りを持ったという話が
ある。Ragunanという地名はその土地をPangeran Wiragunaが領地にしたことから、ウィラ
グナの所有を意味するWiragunanが短縮されてRagunanになったと言われている。そのパゲ
ラン ウィラグナこそが誰あろうカルディルなのだ、というのがその説だ。

1675年にスロソワン宮殿が火事になり、いくつかの建物が焼け落ちた。それから二カ
月後、ひとりのオランダ人がバンテン王宮にやってきた。その男は名前をヘンドリック・
ルカースゾーン・カルディルと名乗り、VOCを脱走してきた自分をバンテンの一員に加
えてほしい、イスラム教徒にもなる、とスルタンに要請した。自分は建築家であり、王宮
の建て直しをお手伝いしたい。そう言うカルディルの要請をスルタンアグンは喜んで受け
入れた。そしてさまざまな建築工事を指揮して実力を示したことから、かれはKiai Aria 
Wiragunaの称号を与えられ、王宮内でスルタンに親しい位置に座を占めることになった。


一方、バタヴィアのVOCはバンテンの弱体化に努め、最終的にバンテン王宮を手玉に取
ることに成功した。スルタンアグンティルタヤサと皇太子を反目させ、皇太子が父王に反
旗を翻すように導き、皇太子を応援してVOCべったりのスルタンにしたのだ。

スルタンアグンティルタヤサもVOCに対抗するためにイギリスを味方に付けようとして
チャールス2世に親書を送り、友好関係を結ぼうとした。その10行の手紙の最後には、
黒コショウ百バハルとショウガ百ピクルを友愛と親善の印としてお贈りすると書かれてい
る。しかし結局バンテンはVOCの術策に呑まれてしまったのである。

皇太子は父王スルタンアグンに自分の即位の実施を要求した。元々はそのつもりだったス
ルタンアグンは、皇太子がVOCの手に握られてしまった状況に陥ったためにその実行を
ためらった。そしてこの親子関係は完全に決裂し、両者の間で戦争が始まった。皇太子は
躊躇なくVOCに戦争の支援を要請した。皇太子はその使節の役目をカルディルに与えた
のである。

大筋においては、誰が使節になろうがVOCは援軍を送ったに決まっている。結局皇太子
がバンテンスルタン国の王位に就き、世間からスルタンハジと呼ばれる人物になった。そ
してその勝ち戦の貢献者のひとりとしてカルディルに恩賞が与えられた。カルディルはパ
ゲラン ウィラグナの称号をスルタンハジから授けられたのだ。パゲランとは王の子供た
ちを意味する言葉だが、称号として使われる場合には貴族に叙せられたことを意味するこ
とになる。王は貴族に領地を与えるのが封建制社会のしきたりだ。

かれもウントゥン・スロパティのようにイスラム貴族になって最高権力者の側近に侍った。
カルディルの場合はその時代最新の西洋テクノロジーとイスラム文化を統合させた建築家
として最高権力者が信頼を寄せる重臣になったわけだ。[ 続く ]