「ダンデルス(5)」(2025年01月08日)

ダンデルスがジャワ島で行った大きな変革のひとつに、VOC時代の植民都市バタヴィア
城市の城壁を取り壊して首都をもっと南のヴェルテフレーデンに移したことが挙げられる。
バタヴィアをアジア有数の大都市に変貌させる礎石がそのときに築かれたと言えるにちが
いあるまい。

同時にVOCが城壁都市バタヴィアを防衛するために周辺のあちこちに設けた多数の防衛
陣地(要塞)も取り壊された。ナポレオン時代のヨーロッパにおける戦争に前世紀の戦術
思想がもたらす利点は既に消滅していたということなのだろう。

ダンデルスがバタヴィアに到着したころ、東インドの防衛軍は8千から1万人の兵力で、
そのメインをドイツ人傭兵部隊が占めていた。兵力増強をはかるためにかれはプリブミ兵
士を大量に徴募した。しかし知識と経験を持つヨーロッパ人指揮官が不足していたために
ダンデルスはナポレオンにその援助を求め、モーリシャスからフランス帝国陸軍第12大
隊が派遣されてきた。ダンデルスがバタヴィア城市内から首都機能を移転させたヴェルテ
フレーデンに軍隊があふれた。

プリブミ兵士リクルートはマドゥラ・マカッサル・バリ・アンボンなどの種族を主な対象
にし、ジャワ人は対象から外されたそうだ。プリブミ兵士にもヨーロッパ式の階級を与え
て兵と下士官にし、かれらプリブミ軍人は武器・軍服・階級章・食糧・訓練・賃金を支給
された。2年間でダンデルスのプリブミ軍勢は2万人に達した。そして機動師団・バタヴ
ィア師団・スマラン師団・スラバヤ師団・外島防衛師団の5師団に分けられてそれぞれの
土地に配備された。


総督としてダンデルスが打ち出したジャワ島統治方針は次のようになっていた。
◎ 既存の封建制プリブミ王権が行っている領民支配を狭く浅くしていくこと
◎ ジャワ島を23のレシデン統治区に再編成し、統治責任者であるブパティの行ってい
る伝統型統治行政を近代化させ、ブパティ職を植民地行政機構の1結節に転換すること
◎ ジャワ島東部地方をスラバヤ・スムヌップ・ルンバン・パスルアン・グルシッの5プ
ロヴィンスに再編すること
◎ オランダ東インド軍の主体をプリブミ兵士にすること
◎ 病院と兵舎を建設すること
◎ 武器兵器工場を増やし、軍人学校を開設すること

同時にダンデルスはまた法制度改革を行い、プリブミとヨーロッパ人および在留東洋人に
適用する法律を分離させた。プリブミに対しては地場の伝統的な慣習法が適用され、その
他の人間にはオランダ東インド政庁が定める法律を適用することが定められた。

またダンデルスは、ジャワ島北岸海域がイギリス軍船によって封鎖されている状況への対
策として、大郵便道路と名付けられたジャワ島北岸1千キロを貫通する動脈路を建設させ
た。VOC時代にジャワ島北岸の諸都市は海上交通を主体にして結ばれており、陸路は副
次的に使われるだけだった。船による航行の方が陸路を移動するよりも時間効率がはるか
に高かったからだ。[ 続く ]