「ダンデルス(6)」(2025年01月09日)

大郵便道路が作られる前、バンテンから東ジャワに陸路で手紙を送ると40日かかったそ
うだ。大郵便道路が完成したあと、手紙は6日で届くようになった。18世紀にオランダ
人が残した記録によれば、バタヴィアからチパナスまで8日かかったそうだ。ところが大
郵便道路を通ればバタヴィア〜バイテンゾルフは5〜6時間、バイテンゾルフからメガム
ンドゥン(今のプンチャッ)は4時間半、そのあとは多少の起伏があるとはいえ下り道だ
から、バタヴィアを朝出ればその日のうちにチパナスに到着できるようになった。大郵便
道路はジャワ島内主要都市間の交通通信の時間を短縮するのに大いなる貢献を果たしたの
である。

その道路に郵便という言葉が使われたのは、道路が通過する主要都市とその近辺に50カ
所の郵便局が設けられたためだった。行政府内の迅速な情報通信がジャワ島防衛のために
極めて重要であることをダンデルスは熟知していた。この大郵便道路の上を郵便馬車が毎
日走った。


オランダ王国を介してフランスの統治機構に属するようになったオランダ東インドで、フ
ランス皇帝ナポレオンの(もしくはフランス人国王ルイ・ボナパルトの)懐刀として送り
込まれてきたダンデルス総督の評判はあまりいいものでなかった。これはつまり、東イン
ドで任務に就いているオランダ人たちのどれほどがフランスの支配下に置かれたオランダ
という状況を喜んでいたかということに帰する問題ではないかと本論筆者は考える。フラ
ンスよりもイギリスに心理的に傾く一部オランダ人たちの目には、ナポレオンに媚びを売
る裏切者という偏見がダンデルスに向けられたことが十分に推測できるのである。

ジャワ島でダンデルスに与えられた綽名の中に、Tuan Besar Guntur(雷閣下)あるいは
Jendral Mas Galak(猛将軍=猛獣のような将軍)、Marsekal Besi(鋼鉄司令官)といっ
たものがある。ダンデルス総督は政庁の部下たちに頻繁に雷を落とし、自分が出した命令
を鋼鉄の塊にして変形を許さず、完全服従の姿勢を示さない者に銃殺するぞと脅かした。
VOC時代には王宮風な雰囲気に包まれていた総督庁の中をダンデルスは軍隊風の色に塗
り替えた。上意下達と任務遂行が至上命令になった。

19世紀後半にヨーロッパで出された大百科事典のダンデルスの項目にはあまり好意的な
内容が書かれていなかったそうだ。ダンデルスは鋼鉄の意志と風の頭を持った人物で、誰
かが議論を仕掛けてくると議論で対戦する能力をもっていなかったために、すぐに撃ち殺
するぞと言って相手を黙らせたという人物評が書かれていた。かれはナポレオンを尊敬し、
憧れ、自分を小ナポレオンと見なした、というのがダンデルスについての世評だ。


総督庁の中でだけダンデルス総督が雷や猛獣になったのかと言うと、とてもそんなもので
なかった。かれはジャワ島の諸国王や小領主たちにも同じ姿勢で臨み、自分の命令を遂行
しない者をあっさりと処刑した。

VOCが執った方針はジャワ島内の封建機構をそのままの形で維持させてオランダの利益
をそこから汲み取ることだったが、ダンデルスは一気に近代行政機構にそれを変えようと
した。諸国王や小領主たちを植民地行政機構の中間職に移行させて給与生活をする官僚に
変えようとしたのだ。ダンデルスはフランス革命崇拝者だったのだ。

ジャワの諸国王や小領主はダンデルスを頂点とする植民地行政機構の部下なのであり、行
政トップの命令を遂行しない部下は罰して罷免するしかない。政庁の部下に「銃殺するぞ」
と言い、地方小領主には「絞首刑にするぞ」と言ったことの一貫性がその切り口から見え
てくるようにわたしには思える。[ 続く ]