「大郵便道路(18)」(2025年01月08日) < セラン Serang > 滅びたバンテンの王都「古バンテン」から大郵便道路は南に下る。東へ進むことはできな いのだ。東側は果てしない湿地帯が延々と続き、しかもそこはマラリア蚊の巣窟になって いたのだから。 古バンテン〜セラン街道は昔作られた大郵便道路そのままのようだ。7メートルを超える 路幅の道路が緑の中を突き抜けて走っている。その区間が国道1号線にならなかったため に、昔の姿が維持されることを可能にしたのだろう。 南に下るとセランの町に至る。この町の構造と様式は明らかにコロニアルスタイルを示し ている。ダンデルスが破壊した古バンテンを監視する重要な任務を与えられてセランの町 が誕生した。1817年にドゥ ブラウンが初代レシデンとして赴任し、それ以来コロニ アル都市セランの形成が進められた。 街の中心部であるアルナルンの周辺にオランダ統治行政機構が集められ、オランダ人がデ ザインした巨大なヨーロッパ様式の建築物が立ち並んだ。ジャワの町はどこへ行こうがア ルナルンには王宮があって大モスクがある。ところがセランには王宮代わりのレシデン官 邸はあっても大モスクの姿がないのだ。それに代わって目に映るのは教会であり、しかも 教会が三つもある。 コロニアル様式建築物の特徴は、高く分厚い壁に大きい窓や扉が多数うがたれて屋内の空 気の流通と換気への配慮を顕著に示している点に見られる。このようなオランダ時代の建 物に入ると、外は真昼の熱射で炙られているというのに、屋内はエアコンなど設置されて いないにも関わらず涼しさが感じられるのである。 セランという地名の由来について、スナングヌンジャティを担ぎ出している説がある。ス ナングヌンジャティはパジャジャラン領内でイスラム布教の旅をした。そしてこの地方ま で来たとき、大地に広がる黄金色に稔った稲を目にして「Serang!」と小さく叫んだ。そ れが地名になったというのだが、この話にはどうも小噺の趣を強く感じてしかたない。 serangはスンダ語で水田を意味しており、強母音で発音される。ジャワ語にも同じ綴りの 単語があるが、弱母音で発音され、「攻撃」を意味している。セラン地方がその昔に豊か な水田地帯だったのであれば、スナングヌンジャティが来る以前からひとびとはそう呼ん でいたのではないだろうか。偉人を担ぎ出すのは話に権威を添える効果を持っているので、 イスラム9聖人のひとりが言ったところにありがたみが湧いてくるのをこの小噺作者はき っと期待したのだろう。 オランダ人ダウウェス・デッカーがムルタトゥリという筆名で著した小説マックスハフェ ラアルによって、この町の名は世界で不朽のものになった。ムルタトゥリはバンテンレシ デン区内で行われている、民衆に対する圧制と搾取を告発したのだ。オランダ人とプリブ ミ封建階層が癒着してその非道を行っていたのだから、民衆に救いは訪れなかった。 そんな非道の中で生涯を終えたバンテン民衆ではあっても、若い男女の間で純愛がきらめ くことももちろん起こった。小説の中に盛り込まれた一エピソードであるサイジャとアデ ィンダのラブストーリーに匹敵するインドネシアの物語は他に存在しない、とプラムディ ヤ・アナンタ・トゥルは断言している。 VOCは過去にセランにも要塞を建てている。オランダ領東インドに変わってからセラン はバンテンレシデン区の首府になった。バンテンのスロソワン宮殿を破壊したあとの瓦礫 となった建築資材を東インド政庁はセランに運んでレシデンら行政統治者のための宮殿を 建てるのに使った。[ 続く ]