「ダンデルス(7)」(2025年01月10日)

インドネシアの歴史教科書には、ダンデルスが大郵便道路建設を命じた結果、道路が通過
する地区の地場統治者に労役の命令が下されたと書かれているらしい。統治下の領民に期
間を定めて道路工事の強制労働を行わせるように命じたと言うのである。そして反抗的な
領主や命令を遂行できなかった領主を工事現場近くの木に吊るした。

その強制労働によって、道路周辺に住んでいた領民たちが飢餓や過労あるいは体力を失っ
て病気にかかりやすくなり、バタバタと死んでいった。1万2千人のプリブミの亡骸が埋
められているインドネシア最大の墓地が、現在でもジャワ島経済と交通のための大動脈路
としての重責を担っているダンデルスの大郵便道路なのだと言うのである。


大郵便道路建設工事そのものはもちろん場所によって状況が異なっていた。小さい道路が
既に存在している場所がほとんどを占めていたが、場所によっては直線道路にするために
原野を切り開く大工事になった場所もあったし、急峻な山に道路を作ることも行われた。
大郵便道路建設の目的は、あらゆる種類の乗り物(そして軍隊の移動)が容易に通過でき
る1千キロの一貫道路を設けることであり、そのために基礎を石で固めた7メートル幅の
道路という仕様がすべての場所に適用された。

現代のインターネット情報庫には道路建設にかかった期間が二説見られ、ひとつは昔から
言われていた一年未満で全線開通、もうひとつはダンデルスが3年間ジャワ島に在任した
期間の終わりまでかかったというものだ。


インドネシア語情報のほとんどはその領民に対する報酬皆無の強制労働をダンデルス本人
が命じたと語っていて、インドネシア人をジェノサイドの標的にした極悪非道のオランダ
人をみんなで憎もうという呼びかけがなされているように感じられる。

しかしチサルア〜カランスンブン区間の工事は東インド政庁が自ら行い、プリブミ作業者
を雇用して賃金を払っていることを歴史の資料が物語ると、今度はそこだけが例外で、残
る850キロ区間をダンデルスが強制労働で作らせたのだ、と言い張っている。

しかしダンデルスがそんな横暴で姑息な命令を自ら下した証拠は見当たらない。チサルア
〜カランスンブン区間の工事が終わってから、ダンデルスは大郵便道路が通過する計画に
なっている38地方の領主を集めて、国のために地方行政首長がこの道路建設を自らのプ
ロジェクトとして実施せよと命じたそうだ。この話に従うなら、プリブミの地方首長が行
った領民への強制労働の罪がダンデルスになすりつけられたような印象を受ける。


ダンデルス憎しが嵩じたのか、東インドに来て独裁者になったダンデルスの話が耳に入っ
たためにルイ・ボナパルト国王がかれを罷免させたと書いているインドネシア語情報もあ
る。フランス皇帝をさしおいて弟のルイにそんなことができたのだろうか?

ジャワ島防衛責任者の人選、総督任命の辞令発出などがルイを頂点にするオランダの中で
行われたのは間違いないだろうが、ジャワ島におけるダンデルスという存在がフランス皇
帝ナポレオンの視野の中に入っていなかったとは、わたしには思えないのである。ジャワ
島の去就はフランス帝国の問題でもあり、ルイの一存で決まる問題ではなかったはずだ。
ダンデルスは1811年5月にジャワ島を去ってヨーロッパに向かった。そのとき、オラ
ンダ王国はすでに取り潰されてフランスの一州になっている。[ 続く ]