「大郵便道路(20)」(2025年01月10日)

< タングラン Tangerang >
セランから大郵便道路は東に向きを変えて、60キロ以上離れたタングランを目指す。
現在のタングランの街中をチサダネ川が貫通しているのだが、元々チサダネ川はバンテン
王国領とジャヤカルタ領を隔てる境界線だった。VOCはジャヤカルタの王都を征服して
バタヴィアに作り替えた後、西方のチサダネ川に至るまでの領域にたくさん要塞を建設し
た。バタヴィアとそれらの要塞間の交通は水路が主に使われた。そのためにアンケ川をは
じめとしてたくさんの運河や水路が設けられた。

VOCはジャヤカルタの首府を城壁都市バタヴィアに作り替えたのだが、本当はそこだけ
でなくて、ジャヤカルタを征服してその領地を乗っ取ったというのが実態だろうと思われ
る。だからチサダネ川東岸までのエリアはVOCの領地になり、自分の領地の守護のため
にあちこちに要塞を建てたというのがVOCのロジックだったのではないだろうか。

しかし法的に領地だとは言えても、乗っ取られたジャヤカルタの領主がそれを承服したわ
けでないのだから臣民はVOCに対する復讐と逆転の機会を狙い、おまけにジャヤカルタ
の宗主国バンテンすら、属領を奪った者への抵抗戦を行って当然ということになるはずだ。

勝手知ったるジャヤカルタ領内でVOCの人間を槍玉にあげていこうとするのはかれらに
とっての順当な行動になったことだろう。バタヴィアの城壁の外が危険に満ちた場所にな
っていたというのはそこに根本的な原因があったのではないだろうか。

だから決して獰猛な野獣だけが危険の源だったわけではない。確かに、城壁の外でヤシ畑
を開墾するために出かけた奴隷の集団がトラの群れに襲われて全滅したという話もあるに
はあるが、トラでなくて人間に襲われて殺された事件もたくさん発生していた。


タングランという地名の由来譚によると、Tangerangという言葉はオランダ人が綴りを間
違えた結果できあがったものだそうだ。原住民文化を正しく理解していれば、Tanggeran
になっていたはずだとその説は語っている。しかしオランダ人に責を帰せないひともいる
ので、ここではニュートラルに行きたい。

その説によれば、本来的にtanggeranとなる地名はスンダ語のtengger+perangが一語にさ
れたものであり、トゥングルは碑、プランは戦争を意味している、と言うのだ。つまり戦
争の碑なのである。トゥングルプランがトゥングランになり、タングランになったとする
解説に異論をさしはさむ気はないものの、わたしにはperangがperanに変わった訳がよく
分からない。どうして語尾の/ng/音が/n/に変化しなければならなかったのだろうか?

perangの/ra/の次に口を開いたままで発音できる/ng/のほうが口を動かさねばならない
/n/よりも言いやすいのだから、tanggerangになって当然の言葉をわざわざtanggeranが本
当なのだと主張している理由がよく分からないのである。そこに出現したダブルの/g/を
一個はずせば現在の地名Tangerangになるではないか。


多分この解説はどこかで思考回路がこんがらがった結果ではないかという邪推がわたしの
脳裏に浮かんでいる。解説者が言いたかったのはtengger+perangでなくて単にtenggerに
接尾辞の-anを付けたものだったのではあるまいか。それの源がtengger+perangであると
先に言ったものだから、tenggeranとの間ですれ違いが起こってしまった。

そうであるなら、この解説はこう書かれるべきではあるまいか。ひとびとはその地方を碑
の建てられた土地tenggeranと呼んでいた。その碑というのはtengger+perangのことなの
であり、tengger+perangがtangerangという言葉になったのだ。そういう話のほうがロジ
カルに思えるのだが、はたしてどうだろうか。

この戦争の碑はスルタンアグンティルタヤサの王子のひとりパゲラン スギリがチサダネ
川西岸に建てたものだ。バンテン王国領を支配下に置こうと虎視眈々と狙っているVOC
と戦争状態に突入したその時期に、「バンテン王国国境はこの川であり、人民一同はわれ
らの領土を守護するように。」という檄を飛ばす文面がそこに彫り込まれて建立されたの
である。[ 続く ]