「福建語好きのイ_ア人(1)」(2025年01月14日) 首都というものに地方のひとびとは特別の権威を感じていて、地方人の中に首都で使われ ている言葉や独特の発音を地元で使って威厳を示そうとする者がいる。わたしが1970 年代にジャカルタでインドネシアビギナーになったころ、それまで習ったこともないブタ ウィ語のenggakを知ってからはtidakを使わないようになってそれを連発していた。わた しも地方人だったのだ。 あるとき出張でバンドンに赴き、バンドンの著名人のひとりの、とあるドクターのお宅を 訪問したときに、スンダ人であるそこの奥様がインドネシア語で話す際にenggakを頻繁に 使っているのに目を瞠った記憶がある。しかし総体的には、地方人がブタウィ語を積極的 に使う風潮はまだまだ感じられなかった。多分そのころはまだ、よく上京する地方在住の エリート層が身にまとう一種のファッションだったのだろう。 ところが1980年代に入ってからバハサプロケムからバハサガウルへの推移現象が始ま り、バハサプロケムが隠語として使っていたブタウィ単語がバハサガウルの舞台で脚光を 浴びるようになって、首都の権威と最新流行の威厳がそこに重ね合わされて若年層をメイ ンにする全国民が使うようになった。ジャワ人の若者たちがgua/gue-lu/loを使って会話 しているのを耳にしてわたしはビックリした思い出がある。 しかし、gua/gue-lu/loをオリジナルなブタウィ語と思ってはいけない。これは福建語か ら摂取された借用語なのだ。我-汝という漢字がその発音に対応している。ブタウィ人は 別の組み合わせane-enteを使うこともする。こちらの方はアラブ語ana-antaがブタウィ風 発音に変形されて摂取されたものだ。 オリジナルブタウィ語と考えられる一人称としてayeがあるものの、二人称がわたしの記 憶の中にない。ayeはムラユ語のsayaの音韻変化と考えられ、そうなるとkamuやkauがその 相手方になってよいような気もするのだが、確信が持てない。 ブタウィ語では[a]音が強母音[e]に変化する傾向を持っている。一方、半島部ムラユ語は 語尾の[a]音が弱母音[e]に変化する。だからサヤという言葉はサエ→アエがブタウィ人の 発音になり、マレーシア人のサヤの発音はサユ(アとエの中間音)と聞こえる。 相手が挑戦的な言動を仕掛けてくる場合、インドネシア語ではApa kau?と凄みを利かせて 言うことが多い一方で、ブタウィ人はApe lu?と言う。マレーシア人がどう言うのかわた しは知らない。 gua/gue-lu/lo以外にも華語の単語が大量にブタウィ語に入った。そりゃそうだろう。公 式にバタヴィアという名のブタウィの街が誕生したとき、その植民都市の領主であるVO Cのオランダ人とその下働きや奴隷であるポルトガル系メスティ−ソ、親ポルトガルのア ジア諸国人、ヌサンタラのプリブミたちに混じってオランダ人に仕える華人が8百人もい たのだ。その時期のバタヴィアの総人口がどのくらいあったのかは不明だが、およそ百年 後にやっと2万人になっていたそうだから、バタヴィア開闢時における非オランダ人の生 活の中で華人は相当な勢力を占めていたように推測できる。 その非オランダ人の日常生活のためにできた言語がブタウィ語だった。最初はポルトガル 系メスティ−ソが使っていたアジア風ポルトガル語とムラユ語がブタウィに住むひとびと の共通語になっていた。ピジンポルトガル語がポルトガル人のアジア制覇に伴って域内共 通語のひとつになっていたのである。JPクーンがバンテンのカピタンチナであるソウ・ ベンコン(蘇鳴崗)と会話するとき、ピジンポルトガル語が使われたという話もある。 そしてメインストリームがだんだんとピジンポルトガル語からムラユ語にシフトしていき、 華人を含むさまざまなプリブミ住民が使っている地方語のいろいろな要素がムラユ語に溶 け込んでブタウィ語という言語ができあがった。[ 続く ]