「福建語好きのイ_ア人(2)」(2025年01月15日)

バタヴィアの華人が発行していた日刊紙シンポーが1940年10月26日付け紙面の中
に、ブタウィ語になった華語の特集記事を掲載した。その中でもっとも多かったのが飲食
物の名称だった。

次のリストはシンポーの記事でなくて、このインドネシア語の語源はこれだと誰かが書い
ているものをわたしが拾い集めたものなので、ブタウィ語の枠を外してインドネシア語と
してご覧いただきたい。なお、福建語だけでなくて広東語や客家語も混じっていることを
付記しておこう。

しかしながら、その中には意味と音が似ていたために華人プラナカンが無理やりこじつけ
たのではないかという気がするものも混じっているし、順序が逆ではないかというものも
見受けられる。たとえば娘惹はムラユ語のnyonyaから作られた華語なのであり、華人の主
張が本末転倒している一例だ。

サテにしても、中国にそれと同じものが同じ名前で存在していないのだから、その語源説
には無理が感じられる。その華人の立説者はSa Tae Bak (tiga potong daging)がサテに
なったのだと主張しているのだ。何事も鵜呑みにするとアブナイ世界にわれわれは住んで
いるということだろう。

飲食物はこれ。



家族関係を示す華語の単語もブタウィ語の中に入り、非華人であるにもかかわらず一家の
中で華語で相手を呼ぶブタウィ家庭もあった。そんな家では父親をbabah、姉をenci、伯
父をencang、叔母をencingなどと呼ぶのである。わたしの伴侶の家庭もブタウィ人で、長
い歴史の中でマナドやジャワ、あるいはオランダの血がその家系の中に混じったが華人の
血は入っていない。ところがその一家は父親をババあるいはバッと呼び、わたしの妻の弟
妹達は妻をンチと結婚前から呼んでいた。

だから弟妹が我が家に遊びに来ると、習慣通り姉をンチと呼ぶ。会社の運転手がわたしを
家に送ってくれたときに妻がそう呼ばれているのを目の当たりにして、かれはわたしの妻
を華人プラナカンだと思い込んでしまった。わたしの妻はそのジャワ人運転手を、ブタウ
ィのことを知らないひとだ、とわたしにコメントした。インドネシアの文化混在は往々に
して誤解を誘発するもののようだ。[ 続く ]